道路元標④のつづきです。まだまだ終わりません。
22.七里村道路元標(2017年11月29日撮影)
現在は埼玉県さいたま市です。
立地理由としては七里村の役場があったからと推測されます。
現在ここは東門前第一自治会館となっています。
それにしても…石の形は確かに道路元標の形ですが
これ絶対わからないですよね…無情報でこれでわかる人がいたらすごいと思います。
23.所澤町道路元標(2017年11月29日撮影)
現在は埼玉県所沢市です。
所澤町道路元標は県道337号と駅前通りの分岐点に建っています。
あとヒイラギに埋もれていてちょっと見つけにくいです…
24.中丸村道路元標(2017年12月3日撮影)
現在は埼玉県北本市です。
中丸村道路元標は中丸村役場前に立地しています。
それにしても埼玉県の道路元標にしては「道路元標 中丸村」の書き方は
少し変わっている気がします。
25.田面澤村道路元標(2017年12月12日撮影)
現在は埼玉県川越市です。
川越市立泉小学校内にあり、フェンス越しにしか近寄れない上に
文字が書いてある面は塀に向いているため文字を読み取ることは難しいです。
役場の位置からやや離れていることや校内にあることから
保存のために移動したと考えられます。
それにしても…もうちょっと良い置き方があるでしょと思うのは私だけ?
26.倉賀野町道路元標(2017年12月19日撮影)
旧中山道と倉賀野町役場の交差点にあります。
ところで…GoogleMapで「倉賀野町道路元標」と検索したら
明らかに違う場所にポイント打たれたんですよね…なんでだろ
27.萩町道路元標(2017年12月24日撮影)
まずこの道路元標があまりにすばらしかったので少し語らせてください。
まず「萩町道路元標」と書かれた面の他の3面に
みっちりと情報が掘り込まれていたことです。
道路元標は都市間の距離を測るために設置されたものと考えると
とても有用だと思います。
側面2面に近隣道路元標までの距離、裏面に建造年月が書いてあります。
ただこれだけだと読みづらい…そこで。
キャプションに4面全部の拓本が貼ってあるんですよ。
それによると
「大井村元標 3.03 川上村同 3.65 美祢郡赤郷村同 5.29 大津郡三隅村同 4.59」
「山口元標 11.83 三見村同 2.60 明水村同 3.16 福川村同 3.04」
「萩町 大正12年4月建設」
と書いてあります。まあこれだけ書いてあるのにどこも残ってないんですけどね…
2010年に高札場が整備されたときに、その隣接した道路から萩町道路元標が
発見されました。
そこで保全するために元あった場所には正方形の石を埋め(萩町道路元標の写真の
最後の写真)、高札場広場に道路元標を移設しました。
拓本はそのときに取られたものと考えられます。
四方に刻まれた情報、拓本、元あった場所に印をつけて安全な場所へ移動…
ここまで恵まれた道路元標はなかなかありません。
また、これらのことから高札場の場所に道路元標が建設されたことがわかります。
この高札場(唐樋高札場)が起点とし防府市三田尻までは萩往還として整備され、
参勤交代や萩と瀬戸内海とを結ぶ道として機能していました。
こうした経緯からこの場所が道路元標の立地点となったことは妥当と考えられます。
28.下関市道路元標(2017年12月25日撮影)
下関市道路元標は少し変わった形状をしています。
おそらく日本国道路元標をモチーフにしているのだと思いますが、
四隅に市のシンボルマーク「フクフクマーク」を配し、
その周りには市の花木のサクラをデザインしています。
キャプションによると当時の道路元標もここに設置されたと書かれています。
位置としては現在は市役所前ですが
設置当時は市役所通りに設置されていたと考えられます。
西国街道、旧国道2号も元安橋を通り、太田川の水運の利もあって
広島城下町の中心となっていたため高札場もここにありました。
そのためここに道路元標が建てられたのは自然といえます。
広島県里程元標もここに建てられましたが
1889年に道路元標に変わりました。
…ところで。地図や年号を見てある事実に気づいた人は鋭いです。
…そう。ここは原爆の爆心地にとても近いです。
原爆が落とされたのは1945年。
つまり、この道路元標は原爆に遭っていることになります。
道路元標ははっきりとした被害には遭いませんでしたが(花崗岩強い)、
よく見ると他の道路元標よりも角が丸い印象があります。
これは原爆の熱線で焼けた跡だそうです。
原爆に被災したものといえば原爆ドームにスポットライトが当てられがちですが、
道路元標マニアとしてはもう少しこちらにも目を向けてほしいと思ってしまいます。
30.一ノ宮町道路元標(2018年1月1日撮影)
上野国一宮、一之宮貫前神社の参道前、そして一ノ宮町役場前にあります。
どちらも理由になりえますが、一ノ宮町役場は一之宮貫前神社の参道内に立地したと
考えられますので、一之宮貫前神社の参道説を採用しようと思います。
9個の道路元標をここでは紹介しましたが、
ここで今まで出てきた30個の道路元標の立地理由についてまとめてみましょう。
交通中心地…5
役所・役場…9
参道…4
交差点…10
移動済み(判定不能)…2
となります。交差点が最多、役所・役場が次点となっています。
これだけ書いてもまだ2018年に入ったばかりです(ちょっと疲れてきた)。
読んでくださりありがとうございました。
2019年1月6日 うさぎ