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江戸三十三観音をめぐる 10.赤坂・西麻布編

 前回、江戸三十三観音第20番札所天徳寺、第21番札所増上寺に参拝しながら芝をめぐった。今回は第22番札所長谷寺に参拝しながら、赤坂・麻布をぶらぶらしようと思う。

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前回記事はこちら↓

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1.迎賓館赤坂離宮

 今日は四ツ谷駅からスタートだ。

四ツ谷駅

 四ツ谷駅から南に歩いて、見えてくるのが迎賓館赤坂離宮だ。

迎賓館赤坂離宮

 ちなみに四ツ谷駅からこの景色にたどり着くまでに、チケットの購入だけでなく、荷物検査も行わなければならない。なぜなら、この迎賓館は現役で使われているからだ。

 迎賓館のある敷地には、紀州徳川家中屋敷があった。

 現在の建物は、大正天皇の皇太子時代の東宮御所として明治42年(1909年)に建造されたもので、設計は東京国立博物館表慶館などの設計で著名な片山東熊。

 日本唯一のネオバロック様式の洋風建築で、パリのヴェルサイユ宮殿ルーブル宮殿がモデルであるという。

 第二次世界大戦後、国会図書館とされた時期もあったがその後改修され、昭和49年(1974年)から国の迎賓施設とされ、迎賓施設として使っていないときは一般公開されている。

 迎賓館赤坂離宮内は撮影禁止のため、文章のみの紹介とさせていただく。

 

 入口から入り、正面玄関を見る。

 正面玄関の鉄扉を開けると、黒と白の市松模様の床に真紅の絨毯が敷かれた玄関ホールを通ることになる。玄関ホールの床は、イタリア産の白い大理石と国産の黒い玄昌石で構成されている。

 

 次に入るのは、花鳥の間。

 花鳥の間の名は、天井に描かれた油絵や壁に飾られた七宝焼が花や鳥を題材にしていることに由来する。現在では主に公式晩餐会や記者会見の場として使用されている。

 壁には30枚の七宝焼の額が飾られ、これは明治を代表する日本画家の 渡辺省亭(わたなべせいてい)が下絵を描き、七宝焼の天才・涛川惣助(なみかわそうすけ)が焼いたもの。

 天井にはフランス人画家が描いた油彩画24枚と金箔地に模様を描いた絵12枚が張り込まれている。

 

 続いて、彩鸞(さいらん)の間。

 この部屋は鳳凰の一種、「鸞(らん)」と呼ばれる架空の鳥のデザインのレリーフがあることからこう呼ばれている。この部屋は、条約の調印式や首脳会談に使用されるそうだ。

 左右の大きな鏡の上部と大理石で作られた暖炉の両脇に、華麗な鳥の彫刻が飾られている。これが「鸞」だ。

 部屋の装飾は19世紀初頭ナポレオン1世の帝政時代にフランスで流行したアンピール様式で、金箔張りのレリーフは軍隊調のモチーフとなっており、なかには鎧武者などの和の要素も組み込まれている。

 天井のレリーフは筋が放射状に広がったもので、ナポレオンのエジプト遠征に想を得たデザインとなっているようだ。

 

 彩鸞の間と朝日の間の間で、中央階段と大ホールを通る。

 中央階段から見上げた南側と北側のアーチに絵が描かれており、2階に向かう賓客には朝日の絵、正面玄関に降りていく賓客には夕日の絵が見えるようになっている。粋な演出だ。

 中央階段を登ると大ホールがあり、天井には東京芸術大学教授・寺田春弌(てらだしゅんいち)による「第七天国」という絵が描かれていた。

 また、朝日の間の扉の左右の壁には洋画家・小磯良平が描いた「絵画」「音楽」という油彩画が飾られている。

 

 朝日の間に入る。

 朝日の間は、賓客のサロン(客間・応接室)として使われ、表敬訪問や首脳会談等も行われる迎賓館で最も格式の高い部屋となっている。

 天井にはフランス人画家による絵が描かれており、朝日を背にした女神オーロラが、左手には月桂樹の枝、右手には馬の手綱を持ち、チャリオットで天空を駆けている姿が描かれていて、これが「朝日の間」の由来。

 朝日の間の床に敷かれた敷物「緞通(だんつう)」は、桜の花をモチーフにしたもので、47種類もの色の糸が使われている。実際に緞通が織られている様子のビデオが放映されていた。

 壁面には2種類の絵が描かれている。ひとつは、鎧、兜、鎖をくわえたライオンの頭が描かれ、陸軍の象徴となっている。もうひとつは、船首、月桂樹、櫂(かい)や銛(もり)が描かれ、こちらは海軍を象徴している。

 

 最後に訪れたのが、「羽衣の間」。

 羽衣の間の由来は、謡曲「羽衣」の景趣を描いた大絵画が天井に描かれていることで、雨天時の歓迎式典や晩餐会の招待客に食前酒が供される場所でもある。

 天井画は高炉から煙が立ち上り、赤やピンクの花が舞う、天女が地上に降り立った直後の空の様子が描かれていて幻想的だ。

 羽衣の間のシャンデリアはクリスタルガラスを主体に7,000個ものパーツを組み合わせた迎賓館で最も大きく、豪華なもので、洋風の仮面や楽器がモチーフに描かれ、舞踏室として使われていた時代をうかがわせる。壁面のレリーフにも洋風の仮面やヴァイオリンなどの洋楽器に交じり、琵琶や鼓などの和楽器も使用されているのも魅力的だ。

 また、舞踏会を催すときに音楽を演奏するオーケストラボックスが部屋の奥にあり、往時は使用していたのだろう、と思った。

 

 迎賓館赤坂離宮本館から出て、庭園から迎賓館を見る。美しい。

 

 このほか和風別館があるが、予約制であり、私が行こうと思ったときは予約でいっぱいになっていたので、またの機会とすることとした。

 

2.赤坂豊川稲荷

 迎賓館赤坂離宮をあとにして、敷地をぐるっと南東端にまわると、赤坂豊川稲荷がある。

赤坂豊川稲荷

 赤坂豊川稲荷は、正式名称を豊川吒枳尼真天堂(とよかわだきにしんてんどう)といい、キツネの化身とされる吒枳尼天を本尊とする寺院である。

 この吒枳尼天は、愛知県豊川市にある妙厳寺(みょうごんじ)山門の鎮守神を、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)が赤坂一ツ木の邸内にまつったもので、のちに一般の参詣者に開放されて繁盛したという。現在地に移ったのは明治20年(1887年)のこと。

 赤坂界隈の飲食店や芸能関係の人々の信仰を集め、奥の院一帯の参道両側には奉納された幟がびっしりとたち並び、「千本のぼり」とよばれている。

千本のぼり

 参拝し、御朱印をいただいた。

 

 境内で「いなりん」を発見した。

いなりん

 いなりんは愛知県豊川市のマスコットキャラクターで、キツネと豊川いなり寿司を合体させたキャラクターである。少し前に東海道豊川市を歩いたとき、いなりんのマンホールを見つけた。

 

 いなりんマンホールは「東海道を歩く 30.札木停留場~御油駅 5.速素佐之男神社」で登場している。

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 境内を散策していると、キツネがみんなこっちを見ている。少し怖くて、手を合わせた。

 

3.高橋是清翁記念公園

 赤坂豊川稲荷をあとにして、国道246号線沿いをしばらく進むと、高橋是清翁記念公園に到着する。

高橋是清翁記念公園

 高橋是清は首相・蔵相を歴任して昭和初期の日本の政治経済に大きな足跡を残したが、二・二六事件のときに自邸で暗殺された。

 高橋是清の邸宅跡が昭和13年(1938年)に東京市へ寄付され、公園とされたものが、高橋是清翁記念公園である。

 空襲で当時の建物は焼失したが、焼け残った母屋が小金井市江戸東京たてもの園に移築・保存されている。

 高橋是清銅像が公園の奥にあった。命日である2月26日のあとだったからか(この日は3月3日)、花が供えられており、そっと手を合わせた。

 

4.乃木神社

 赤坂郵便局前交差点を左折して南に進むと、旧乃木邸がある。

旧乃木邸

 乃木希典は、日露戦争の旅順攻略戦のときの陸軍司令官で、退役後は学習院長などもつとめた人物である。

 大正元年(1912年)9月、明治天皇の大葬に際して妻の静子とともにこの邸宅で殉死したのは有名な話である。

 乃木邸は明治35年(1902年)の築造で、フランス軍隊の建物を模したという半地下の部屋をもつ木造平屋建て。

 普段は非公開で、周囲に通路がめぐらされていて外から内部をみることができる。

 

 旧乃木邸の厩(うまや)は明治22年(1889年)に建てられたもの。飼っていた馬の名前は壽(す)号と、璞(あらたま)号。

 

 旧乃木邸の坂の下に、乃木神社がある。

乃木神社

 乃木神社は乃木夫妻を祭神とした神社で、大正12年(1923年)に創立された。

 乃木神社でも御朱印をいただいた。デザインがかわいい。

 

 乃木神社の前の坂道は乃木希典からとって「乃木坂」と名づけられているが…まあ、現在では「乃木坂」と聞いて乃木希典乃木神社を連想する人よりも、アイドルグループ「乃木坂46」を連想する人のほうが多いだろう。

乃木坂

 

5.長谷寺

 都道413号線を通り、長谷寺へ向かう。途中、青山霊園の上を通った。

青山霊園

 美濃郡上藩青山家の下屋敷だったところを明治5年(1872年)に明治政府が神式墓地として造成した。まもなく神式・仏式を問わず埋葬するようになり、管理は東京府に移された。

 公園墓地の草分けのひとつで、26万㎡余の敷地には、大久保利通墓はじめ犬養毅らの政治家、乃木希典らの軍人、斎藤茂吉国木田独歩志賀直哉らの文化人を含む約11万人が眠っている。

 

 根津美術館前の交差点で左折し、住宅街のなかの道をいくと長谷寺がある。

長谷寺

 長谷寺曹洞宗の寺院である。

 慶長3年(1598年)、大和・鎌倉両長谷寺と同じ木・同じ作者と伝えられる小十一面観音像が安置されていた御堂の地に、今川義元の孫で、徳川家康の師でもあった門庵宗関(もんなんそうかん)大和尚を開山に迎えて開創された。

 正徳6年(1712年)には、この像を宝冠のなかに収めて2丈6尺の大観音が建立され、江戸三十三箇所の観音霊場のひとつとして庶民の信仰を集めた。

 昭和20年(1945年)に戦災で堂宇が焼失したが復興、昭和24年(1949年)に永平寺東京別院となり、昭和42年(1967年)には専門僧堂の認可も受け、東京の禅の修行道場のひとつとなった。

 戦火で大観音も焼失し、昭和52年(1977年)に10年かけて再建、現在はくすのきの一木彫、高さ3丈3尺(約10m)の十一面観音像で「麻布大観音」と親しまれている。

 麻布大観音はこの大観音堂に安置され、見ることができる。とても大きかった。

観音堂

 寺務所に行き、御朱印をいただいた。

 

 また、長谷寺には江戸時代の医師の井沢蘭軒、鹿鳴館外交で著名な政治家の井上馨、洋画家の黒田清輝喜劇王エノケンこと榎本健一、歌手の坂本九らの墓がある。

 

 長谷寺をあとにして、表参道駅前のスタバで「花見だんごフラペチーノ」を飲んでから帰路につくことにした。花見だんごフラペチーノはだんごがタピオカのようで美味しかった。

花見だんごフラペチーノ

 迎賓館赤坂離宮はまぶしいほどに豪華絢爛な洋館だった。次回行くときは和館にも行ってみたい。豊川稲荷にはいつか行きたいと思っていたので、赤坂豊川稲荷に参拝したことで少しは御利益がいただけた…と信じたい。

 高橋是清翁記念公園で二・二六事件で亡くなった高橋是清の冥福を祈った。乃木神社乃木希典に思いを馳せたが、現在ではアイドルグループのほうが有名になってしまったのは何ともいえないと思う。長谷寺の麻布大観音はとにかく大きく、今まで見た江戸三十三観音のなかでも最も大きかったと思う。

 私の知らない東京が、まだまだありそうだ。

今回の地図



歩いた日:2024年3月3日

【参考文献・参考サイト】

俵元昭(1979) 「港区の歴史」 名著出版

江戸札所会(2010) 「昭和新撰江戸三十三観音札所案内」

東京都歴史教育研究会(2018) 「東京都の歴史散歩 中 山手」 山川出版社

内閣府 迎賓館赤坂離宮

https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/

(2024年4月3日最終閲覧)