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うさぎの気まぐれ旅行記 大分・宮崎旅行③宮崎編

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 前回は大分市街地を歩いてみた。今回は大分駅から特急で3時間の宮崎市街地を歩いてみようと思う。宮崎市街地は城下町や宿場町などではなく、近代に入ってから造成された都市だが、それもそれで面白みがある都市だった。

 なぜ宮崎に近代になってから都市が造成されたか。その理由としては、宮崎県内には江戸時代、延岡藩高鍋藩、飫肥藩佐土原藩薩摩藩が分立しており、それに加え飛び地が多く中心が決めづらかった。そこで、明治6年(1873年)に美々津県と都城県が統合されたときにその境である上別府村に県庁が置かれたのがはじまりである。上別府村は明治22年(1889年)に宮崎町となり、ここで「宮崎」という自治体名が生まれた。なお、「宮崎」という地名自体は平安時代中期に作られた辞書「倭名類聚抄」にも出てくる地名である。

前回記事はこちら↓

octoberabbit.hatenablog.com

1.官庁街を歩く

 ホテルを出て、宮崎駅に向かう。

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 宮崎駅のコインロッカーに荷物を預けて、出発だ。そこで興味深いものを見つけた。日向夏ポストだ。

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日向夏ポスト

 日向夏は「日向」とつく通り、文政3年(1820年)に宮崎県で発見された果物である。これにちなんだポストを駅前に置くとは、なんとも宮崎らしい。

 宮崎駅交差点を左折し、老松通りを進む。裁判所前交差点を右折し、県庁楠並木通りを進む。県庁楠並木通りは県庁舎の建築時(明治7年(1874年))に造成された。県庁楠並木通りには宮崎地方裁判所宮崎県警察本部がある。このあたりが官庁街なのだろう。それにしても、警察本部はどこの建物も四角い。

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宮崎地方裁判所

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宮崎県警察本部

 「交通安全 宮崎八幡宮」の看板を見つけたので、宮崎八幡宮に寄ってみる。

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宮崎八幡宮

 宮崎八幡宮は永承年中頃(1050年頃)にこのあたりを開拓した海為隆が宇佐八幡大神をここに勧請したのがはじまりである。

 宮崎八幡宮に参拝して、県庁楠並木通りに戻り、次の交差点の右手側にあるのが宮崎県庁だ。

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宮崎県庁

 宮崎県庁舎は昭和7年(1932年)に竣工された、日本で4番目に古い県庁舎である。ゴシック建築の県庁舎は立派である。

 その県庁舎の向かい側に、宮崎市道路元標がある。

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宮崎市道路元標

 道路元標は大正8年(1919年)の旧道路法で各市町村に1個ずつ設置されたもので、宮崎県にもいくつか残っている。なお、この道路元標は正面以外、何も刻まれていなかった。

 県庁前交差点を左折し、橘通りを南進する。橘通りは明治20年(1887年)に建設着工された。この地域の中心であった上野町の道路を拡幅することも考えられたようだが、既成市街地の改変は抵抗が大きく、市街地の東側にバイパスするように設けられた。橘通りという名がつけられたのは明治40年(1907年)のことである。

 橘通りにはワシントン椰子が植えられている。これは岩切章太郎の提唱によって1930年代から戦後にかけてフェニックスなどの南国風の並木が風景を観賞する「動く額縁」として市内の通りに植えられていったものである。

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 市役所前交差点の右手側にあるのが、宮崎市役所だ。昭和38年(1963年)竣工である。

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宮崎市役所

2.宮崎の商店街

 橘通りを北進する。片側アーケードの商店街に入ったが、祝日の午前中にしてはシャッターが下りた店が目立つ。車が勢いよく通り過ぎていくので、ロードサイド店舗文化圏なのだろう。

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 橘通2丁目交差点を左折し、恵比寿通りを進む。その後右折して中央通りに入る。中央通りとその南の上野町通りが上野町の南北通りで、この通りは橘通りなどよりはるかに古く、江戸時代からの歴史を持っている。

 「地域猫がいます。ひかないで!」という看板を見つけたので猫がいることを期待したが、残念ながら1匹も見なかった。

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地域猫がいます。ひかないで!

 このあたりは夜の街なのか、クラブなどの看板が目立った。当然夜の街なので、営業していた店はまばらだった。

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 しばらく歩くと右手側に一番街のアーケードが見えた。入ってみよう。

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一番街

 アーケードだから賑わっていることを期待したが、祝日の午前中とは思えないほど閑散としていた。大丈夫なのか、宮崎市

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 橘通りを挟むと若草通に名前を変える。

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若草通

 だが変わったのは名前だけで、閑散とした商店街は相変わらずだった。

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 現在11時半。少しお腹が空いてきたので、昼食にしようと思う。若草通を出て、四季通りを進む。その路地裏を見ると、今までどこにもいなかった人間が行列をなしているではないか。「おぐら」の行列だ。

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 私もこの行列に並んだ。15分くらい待ったら入店できたので、チキン南蛮を注文した。ここはチキン南蛮発祥の店なのだ。そしてチキン南蛮がこちら。

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 甘酢が効いた揚げ鶏に、濃厚なタルタルソースがかかっている。これはうまい。

 この店に貼ってあったチキン南蛮の由来によると、昔、鶏肉は部位ごとではなく、1羽買ってきていた。もも肉はチキンカツにできたが、むね肉は味が薄いのでどうしても余ってしまっていた。そこでむね肉を美味しく食べる方法を考えた。当時のおぐら店主が中華料理好きで、甘酢をかけるアイデアはそこから生まれた。しかし甘酢だけでは物足りなかったので、エビフライにかけていたタルタルソースをつけたことでチキン南蛮が誕生したそうだ。

 おぐらの目の前にある大きなデパートが、宮崎山形屋だ。宮崎山形屋は橘通りと高千穂通りの交差点に位置している。なお、ここには国道220号の0キロポストもある。

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宮崎山形屋

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国道220号0キロポスト

 私は地方都市の百貨店に行くとジューススタンドでジュースを飲むことにしているので、B1Fのジュースハウスさくらんぼで日向夏のジュースを飲んだ。さわやかな酸味で、美味しかった。

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 高千穂通りを東に進むと、宮崎駅前に到着する。

 高千穂通りは若草通りから駅に向かう通り、広島通りのバイパスともいえる位置に大正2年(1913年)、宮崎県再設置30周年※を記念して駅前通りとして造成された。

※宮崎県は明治6年(1873年)に一度設置された後に鹿児島県に合併され(明治9年(1876年))、明治16年(1883年)に再設置された経緯がある

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3.宮崎神宮

 まだ13時半、あと2時間くらい時間がある。スマホで調べたところ、宮崎神宮に行くことができそうなので、行ってみることにした。日豊本線で北に1駅、宮崎神宮駅に到着した。駅の入口が鳥居なのが面白い。

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 駅から西に進むと宮崎神宮に到着するが、せっかくなので正面の鳥居から入ってみることにした。

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 そのまま進むと「宮崎県護国神社」という看板を見つけたので、まずは宮崎県護国神社に参拝する。

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宮崎県護国神社

 護国神社とは国家のために殉難した人の霊を祀るための神社で、1都道府県に1社設置してあることが多い。なお、宮崎県護国神社は戦後の昭和30年(1955年)に創建された。

 宮崎県護国神社に参拝したら、宮崎神宮に参拝する。

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宮崎神宮

 宮崎神宮神武天皇の孫、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州の長官に就任したとき、祖父の遺徳をたたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられている。その創建年代は不明である。

 宮崎神宮に参拝した後、境内に博物館があると見たので行こうとしたところ、今から見たのでは到底間に合わないと判断してやめることにした。

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 本当に面白そうな博物館で行けなかったことが悔やまれるので、次回宮崎に行く機会があればぜひ行きたいと思った。

4.東京に帰る

 そろそろ時間なので、宮崎神宮駅から電車に乗る。宮崎駅で荷物を取ってから、特急にちりんで宮崎空港駅に向かう。ちなみに宮崎駅から宮崎空港駅までの間は乗車券だけで特急に乗ることができる。

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 さあ、楽しい旅行もこれで終わり。次の日は仕事なので、東京に戻ることにする。

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 名残惜しい気持ちを、空港で買ったチキン南蛮弁当と日向夏のチューハイで流し込む。

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 次はいつ旅行に行けるだろうか。

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今回の地図①

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今回の地図②

歩いた日:2022年1月10日

 

【参考文献・参考サイト】

西村幸夫(2018) 「県都物語」 有斐閣

宮崎八幡宮 宮崎八幡宮について

https://www.miyazakihachimangu.or.jp/about

宮崎神宮 宮崎神宮の由来

https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/18/

(2022年2月2日最終閲覧)