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東海道を歩く 19.岡部宿柏屋前バス停~藤枝駅

 前回、吐月峰駿府匠宿入口バス停から岡部宿柏屋前バス停まで歩いた。今回は岡部宿柏屋前バス停から藤枝駅まで歩こうと思う。静岡駅~吐月峰駿府匠宿入口バス停~岡部宿柏屋前バス停~藤枝駅と移動してきて、久しぶりの東海道本線だ。東海道本線に、戻ってきた感じがする。

初回記事はこちら↓

octoberabbit.hatenablog.com

前回記事はこちら↓

octoberabbit.hatenablog.com

1.姿見の橋

 今日もやまさんが同行するので、静岡駅で待ち合わせ、バスに乗って岡部宿柏屋前バス停で降りる。今日はここからスタートだ。

 降りて早々、岡部宿の問屋場跡を見つけた。問屋場は幕府の公用旅行者のためにつくられた施設で、人夫や馬を常備し、次の宿場まで、旅行者や荷物を無料で継ぎ送った施設である。

問屋場

 やまさんが「古そうな家がある」と言ったので見ると、初亀醸造があった。初亀醸造では「初亀」などの日本酒を醸造している。

初亀醸造

 旧道に入る。

 

 「夢街道東海道」の「藤枝市 岡部宿」があった。

 

 こういう旧街道の空気感は、好きだ。

 

 足元を見たら、小さな橋があった。小野小町の姿見の橋だ。

姿見の橋

 小野小町は絶世の美女であり、歌人としても有名であった。晩年に東国へ下る途中、この岡部宿に泊まったという。

 小町はこの橋の上に立ち止まって、夕日に映える西山の景色の美しさに見とれていたが、ふと目を橋の下の水面に移すと、そこには長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていた。そして、過ぎし昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだという。「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身よにふる ながめせしまに」の歌を思いおこすところである。

 こんなことがあって、宿場の人たちはこの橋を「小野小町の姿見の橋」と名づけたという。

 美しい美女も、そのうち老いるのだなあと感じた。

2.岡部町観光案内所

 そのまま進んでいくと、神社があった。佐護神社だ。

佐護神社

 佐護神社は、立石神社例祭の御神輿の御旅所の守護として古来より祀られている。

 佐護神社は、別名「おしゃもっつぁん」ともいい、おしゃもっつぁんは、農耕の神、丈量(測量)の神または安産の神であったりと、さまざまな説がある。

 「測量の神」は初めて聞いた気がする。

 

 先に進むと、高札場跡を見つけた。

高札場跡

 高札場は、宿場内の目立つところや、人々の多く集まるところに設置され、法度や掟、犯罪人の手配などを木札に書き高々と掲げて、社会の人々に知らせたところである。

 

 左手側に寺院を見つけた。正應院だ。

正應院

 正應院は日蓮宗の寺院である。

 大正7年(1918年)佐藤政十氏が曹洞宗から日蓮宗に改宗し、自宅土蔵に見珠道場を開設、私財を投じてここに本堂建立を発願したことに始まるという。結構新しい寺院である。

 

 旧街道を進む。

 

 このポスト、側面に開け口がついているのは珍しい気がする。

 

 瑠璃山光泰寺の道案内があった。五行菩薩という人物が岡部に立ち寄ったときに3日で作った聖徳太子像があると書いてあるが、少し遠かったので行かなかった。

 

「ワクチン駐車場」

 

「コロナワクチン駐車場」

 

「→ワクチン」「ワ→ク→チ→ン→」

 …流石にコロナワクチンを強調しすぎだ。

 

 ここにも問屋場跡があった。

問屋場

 駐車場の向こうに、藤枝市岡部支所が見えた。

藤枝市岡部支所

 「○○支所」とつく場合、合併前の役場があった場所であることが多いので、ここも藤枝市と合併する前の岡部町の役場か?と思い今昔マップを調べてみたら概ね合っていた。

 道が行き止まりになるので県道208号線に出るとすぐ、五智如来像公園を見つける。そこには五智如来がある。

五智如来

 五智如来は、誓願寺の境内で街道に面して設置されていたが、寺が移転したため現在地に移された。地元産の三輪石で作られている。田中藩の家老が寄進したもので、5体そろっていて貴重である。

 それにしても、解説板がよれていて読みにくい。

 

 隣に岡部町観光案内所があるので、寄ってみる。

岡部町観光案内所

 もちろん、岡部町の地図は展示されていた。

 

 岡部のむかし話の絵本も展示されていた。機会があったら読んでみたい。

 

 「岡部宿で殺傷事件」という物騒な記事を見つけたが、これは今から328年前、岡部宿で水戸家の仲間と旗本十数人との間で起こった殺傷事件を取り扱っている。歴史を知ってもらうために作成したようだ。

 

 「ヒロシ」「友蔵」という「ちびまる子ちゃん」のキャラクターの描かれている日本酒も見つけた。「ちびまる子ちゃん」といえば静岡市、特に清水。ここはもう藤枝市のはずだが…?

 

 岡部にはこんなにお菓子があるのか。1つも食べてないので機会があれば食べてみたい。

 

 岡部宿の絵図も展示されていた。

3.横内

 岡部町観光案内所を後にして、先に進む。藤枝市の消火栓を見つけた。

 藤枝市の木「松」、藤枝市の花「藤」がデザインされている。

 「松」と「藤」…あれ、どこかで見たような…

 これだ。藤沢市のマンホール。藤沢市も市の木が「松」、市の花が「藤」だ。

 「藤」のマンホールもあった気がするが、写真がなかったのでどうやら撮り忘れたらしい。

 どちらも東海道沿いで、「藤」がつくのでたまに言い間違えそうになる。

 

  県道208号線沿いを進む。「東海道岡部宿の松並木」を見つけたが、これは松なのか…?

 

 「お弁当どんどんだ」とやまさんが言った。

お弁当どんどん

 「お弁当どんどん」は東京のほうでは見ないチェーンだが、東京都2店舗、神奈川県5店舗、山梨県5店舗、愛知県10店舗、そして静岡県で47店舗展開しているお弁当のチェーン店である。本社は静岡市清水区にあるため、静岡のチェーン店といえる。

 内谷新田交差点に「東海道岡部宿」の石碑と灯籠がある。灯籠がどう頑張ってもキノコに見える。

 

 岩村藩領傍示杭跡があった。

岩村藩領傍示杭跡

 説明板を読もうとしたが、説明板が薄い&木に隠れて読めない…。

 

 旧街道を進む。ここは「稲荷小路」と言うらしい。

 慈眼寺の前に「小字名 油街途(あぶらがいと)」「旧横内公会堂跡」の看板を見つけた。

油街途

旧横内公会堂跡

 慈眼寺に向かう。

慈眼寺

 宗派は曹洞宗、御本尊は阿弥陀如来、開創は慶長4年(1599年)。開基の龍谷秀泉和尚が横内村の人々の協力を得て伽藍を建立し、藤枝市高田常楽院六世学翁宗参大和尚を御開山に拝請して開創された。

 

 また高札場跡を見つけた。

高札場跡

 横内歴史案内板を見つけた。

横内歴史案内板

 少し遠いので行かないが、軽便藤相鉄道 岡部線跡が気になる。大正14年(1925年)から昭和11年(1936年)まで解説されていた単線の軽便鉄道で、白髭神社の西側に横内駅があり、岡部線は大手駅(藤枝市)から岡部駅(藤枝市)まで結んでいた。静岡まで敷設できなかったため赤字線として12年間利用されただけで廃線になったようだ。

 朝比奈川を渡る。今日はとってもいい天気だ。

 

 祠がある。「東海道歴史散歩」によると、横内には橋の東西のたもとの3ヶ所に地蔵が祀られている。普通は洪水よけの地蔵は1ヶ所であることを考えると、よほど洪水が多いところであって、村人が協力して地蔵の力に頼らざるをえなかったことを想像することができる、と書いてある。

 

 水準点を見つけた。一等水準点第132号だ。

一等水準点第132号

 これは平成4年(1992年)に設置された標石型の水準点だが、マンホールに阻まれて標石は見えない。

 こんな道端にある白ポスト、初めて見た…。使われているのか気になる。

 

 少し県道81号線を戻るとここにも水準点がある。一等水準点第001-196号だ。

一等水準点第001-196号

 昭和53年(1978年)に設置された金属標型の水準点である。

4.鬼島

 仮宿交差点で旧道に入るとすぐ田中藩領傍示杭がある。

田中藩領傍示杭

 解説石もあるが、反射して非常に見づらいので、解説は省略させていただこう。

 

 197キロポストの写真を撮っていたが、ここは国道1号線ではないし、どこから197キロの地点なのだろう?

 

 少しだけ県道208号線に出て、また旧道に入る。すると「鬼島一里山」という看板を見つけた。ここは一里塚跡だろうか?ちなみに解説板はない。

鬼島一里山

 八幡橋で葉梨川を渡ると、小さなお地蔵様を見つけた。

 

 そのまま県道208号線沿いを進むと、鬼島の建場がある。

鬼島の建場

 それにしても、これも説明板が読みづらい。

 「建場」「立場」は今までも数回登場しているが、宿場と宿場の間のお休み処である。

 

 そしてこのマンホールは初めて見た。「わがまち藤枝」

「わがまち藤枝」

 市の花「藤」、市の鳥「うぐいす」、市の木「松」、そして静岡県を象徴する富士山がデザインされたマンホール蓋である。藤枝って富士山見えたっけ?と思ったが、今は富士山に背を向けて進んでいるので見えないだけかもしれない。

 ちなみに藤枝市章がこれである。

 市章は市の花である藤に見られる高潔な気品を藤枝の姿として、永遠に汚れない清潔な市として躍進と発展を遂げることを願い、昭和29年(1954年)9月に制定された。

 

  青山八幡宮の鳥居が見えたが、ここから少し山を登らなければいけないので遠慮しておいた。

 

 少し進むと、須賀神社と全居寺がある。

須賀神社

 創立年月日は不詳だが、慶長10年(1605年)に再建された。祭神は須佐之男命 (すさのおのみこと)。

 境内には大きなクスノキがある。

須賀神社のクス

 このクスノキ静岡県指定天然記念物で、樹齢はおよそ500年、静岡県下でも有数の大きさを誇り、御神木として大切にされてきた大木である。この木は、東海道が実際に使われていた時代を直接見ていたのかもしれない。

 「御神木指定証」つきの御神木である。というか御神木指定証なんてあるんだ。

御神木指定証

全居寺

 全居寺は元和3年(1617年)開創の曹洞宗の寺院で、本尊は釋迦牟尼如来(しゃかむににょらい)。位置的に須賀神社別当寺だったのではないか、と思ってしまう。

 突き当たりを右折すると水準点がある。一等水準点第132-1号だ。

一等水準点第132-1号

 平成25年(2013年)に設置された金属標型の水準点である。平成25年(2013年)設置とはかなり新しいし、このタイプのマンホールは初めて見た。

 

 ここでチェーン店がいくつか並んでいるエリアに出たので、昼食にする。私とやまさんはくら寿司で寿司を食べた。

1貫で160円のいくら

5.藤枝成田山

 昼食を食べたら、県道381号線から旧道に戻る。

 「この自販機、古いけど使われているのかな」とやまさんが言った。

 みかんの自販機のようだが、みかんは売られていなかった。

 少し進むと、右手に寺院がある。藤枝成田山だ。

藤枝成田山

 今から約750年前の建長年間、成田山は照光院という名前の寺院だったが、後嵯峨上皇の子宗尊親王が6代将軍となるため、京都から鎌倉へ東海道を上る途中、藤枝の宿で親王の乗っていた車の左輪が折れたので照光院で休息することになった。これ以降照光院は寺名を左車山休息寺と改めた。車や車軸を寺の裏に埋めて宮を建て、左車神社も作ったようだ。

 戦国時代以降、廃寺同様となった休息寺だが、千葉県大本山成田山の分身を勧請して静岡県唯一の成田山として明治元年(1868年)に落成した。

 ここでも千歳飴が売っていたので買ってしまった。

 

 御朱印ももらってきた。

 

 水かけ不動尊なるものがあったので、水をかけてきた。

 

6.藤枝宿

 東海道を進む。足元に藤枝市の木「まつ(Pine)」、藤枝市の花「ふじ(Wisteria)」、藤枝市の鳥「うぐいす(Nightingale)」のタイルがあった。

 

 下伝馬商店街に入る。馬の字がおかしいな?と思って見ていたらやまさんが「左馬だね」と言った。

 

 人通りのまばらな商店街である。

 

 街路灯がサッカーボールであることに気づいた。流石サッカーの街だ。

 

 下伝馬大黒天・恵比寿天を見つけたので寄ってみる。

下伝馬大黒天・恵比寿天

 徳川家康の信奉した恵比寿天・大黒天の御尊像を、駿府城廃城のときに城代橋西側の3番目の橋板で彫ったという。

 徳川四天王、榊原康正の分家の榊原照久が久能山の城代となり、11代から千葉に移るときにこの恵比寿天・大黒天の御尊像が授けられたという。駿府城の城材で現在残っているのはこの御尊像のみらしい。

 境内に、「金運の椅子」があったので、とりあえず座っておいた。

金運の椅子

 「健康長寿の椅子」「大漁の椅子」「美人になれる椅子」もあったが、これでは少し座りにくい。

 

 下伝馬大黒天・恵比寿天の前に東海道藤枝宿の案内板があった。木戸跡などを見た記憶はないが、もう藤枝宿に入ったのだろうか。

 藤枝宿は東西に長くのびた町で、全長約1.9kmにおよぶ。その中心は上伝馬町で、天保14年(1843年)に、問屋場2軒・本陣2軒・旅籠37軒があった。現在は商店街となっており、その面影はない。

東海道藤枝宿」

 片側アーケードが始まった。

 

 藤枝静男生誕の地の碑があった。

藤枝静男生誕の地

 藤枝静男についての説明が一切なかったので調べてみたところ、小説家・眼科医だった人物で、「イペリット眼」「瘦我慢の説」「犬の血」などの作品を著した。

 

 それにしても…シャッター商店街だなあ…

 

 「徳川家康ゆかりの町」と書かれた看板を見つけた。

徳川家康ゆかりの町」

 徳川家康ゆかりの町といえば駿府(静岡)じゃないの?ここ藤枝だよ?と思って「徳川家康 藤枝」で調べてみた。

 藤枝市に田中城という城がある。徳川家康は、田中城を天正2年(1574年)から5回以上攻め続け、天正10年(1582年)に田中城は徳川の城となった。

 大御所となった徳川家康は、慶長12年(1607年)に江戸から駿府城へ移った後、田中城周辺で鷹狩りを行い、亡くなるまで15回以上も田中城を訪れた。

 徳川家康といえばタイの天ぷらを食べすぎて亡くなったのは有名だが、そのタイの天ぷらを食べたのは田中城だったという。

 徳川家康と藤枝にこんな繋がりがあったとは。今年の大河ドラマは「どうする家康」だし、もう少しプッシュしてもよいと思った。

 

 しばらく進んだら、長楽寺商店街に入った。

長楽寺商店街

 そこに、蓮生寺がある。

蓮生寺

 蓮生寺浄土真宗の寺院で、建久7年(1196年)開創、本尊は阿弥陀如来である。

 源氏の武士であった熊谷直実が出家して蓮生法師となり、藤枝の福井長者のところへ立ち寄った。これが縁で長者は彼に帰依し、屋敷を念仏道場にした。親鸞が来たとき浄土真宗となった。長楽寺には粉川長者の伝承があるから、この宿場は長者が活躍するほど豊かな地であったようである。
 蓮生寺には藤枝市指定文化財のイブキがある。

蓮生寺のイブキ

 このイブキがいつからあるか不明だが、明治36年(1903年)1月の大火のため一部焼けてしまったが、その後樹勢を復活したようだ。

 蓮生寺の前に「夢舞台東海道」の「藤枝宿」を見つけた。

「藤枝宿」

 また、秋葉山灯籠を見つけた。

 秋葉山灯籠、静岡県の「東海道を歩く」のうち、2回に1回は必ず登場しているのではないかというくらい登場回数が多い。これは足が猫足になっていてかわいい。

 

 またさらに進むとちとせ通りに入る。

ちとせ通り

 「この蔵、薬局として使われているのかな」とやまさんが言った。ほんとだ。

うさぎ薬局藤枝店

 ハンガーの「ご自由にお持ちください」があったが嵩張るのでやめておいた。

 

7.若一王子神社

 少し進むと右手側に神社がある。若一王子(にゃくいちおうじ)神社だ。

若一王子神社

 若一王子神社の祭祀は天平2年(730年)とされている。

 平安時代に源八幡太郎義家が奥州での争乱を平定する際にここで武運長久を祈った。そのとき、神社の古い松の木の枝に藤の花が咲き誇っていたので

 「松に花 咲く藤枝の 一王子 宮井ゆたかに 良く幾千代をへん」

という和歌を詠み、義家もここに松を植えた。その後、この松を「千歳の松」と言うようになり、このあたりを「藤枝」と呼ぶようになったという。

 つまりここは「藤枝」発祥の地ということか。千歳の松は見当たらなかった。

 余談だが、この解説板にはルビが振られている。小学生でも読めるように、との配慮だろうか。

 

 境内には、秋葉神社もある。秋葉灯籠しかり、静岡は秋葉信仰が盛んである。

秋葉神社

 また進むと、洞雲寺がある。

洞雲寺

 日本に仏教が伝来して約200年後、神亀5年(728年)青峰白眼という高僧がここに来た。そして裏山の洞窟で断食修行を続け、37日目にこの洞窟から白雲がにわかにわきおこり、雷鳴とともに洞窟前の池から龍が躍り出たので龍池山洞雲寺という名をつけて一宇を開いたのがはじまりだという。

 洞雲寺は曹洞宗の寺院だが、「弘法大師」と書いてあるのはなぜなのか、気になる。

弘法大師

8.大慶寺

 「誰でも気軽にご覧あれ DKG 大慶寺」という看板にそそられて、大慶寺にやってきた。

DKG

大慶寺

 大慶寺は日蓮比叡山での修行の往復にこの地で休息し、その際に里人の奇瑞を感じて建てた法華堂が前身とされ、近世には田中藩の祈願寺として保護された。

 境内には、日蓮手植えと伝えられる久遠の松がある。

久遠の松

 樹高25m、根廻り7mにもおよぶクロマツの巨木で、樹齢は700年をこえるとされ、日本名松百選の1つに数えられる。こんなに大きな松の木を見たのは初めてだ。

9.上伝馬商店街

 藤枝宿上伝馬商店街を歩く。

 

 神明神社を見つけた。

神明神社

 ここの祭神は天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)。

 創立年月日は不詳だが、駿河記に「昔蓮華池畔岩田山の宮社をこゝに奉遷す」とある。

 境内に正一位今拝稲荷大明神を併祈する。

正一位今拝稲荷大明神

 ここに明治天皇藤枝行在所址を見つけた。明治天皇関連の史跡は久しぶりに見た気がする。

明治天皇藤枝行在所址

 ここにも、「夢舞台東海道」の藤枝宿と、東海道藤枝宿の案内板があった。

 

 上本陣跡を見つけたが、何もなかった。

上本陣跡

 

 問屋場跡も、交番になっていた。

 上伝馬の問屋場跡は歌川広重の「東海道五十三次 藤枝」にも描かれている。

東海道五十三次 藤枝」

 問屋場の役人は高い床の上にいて荷物が順調に送られていくか見守っている。道中袴の武士が左右の男に荷物を確認させている。その前に馬に荷物をつけようとしている者、1人で挟み箱をかつごうとしている者、2人で大きな荷物をかつぐ前に荷ン棒に乗せて呼吸を整えている者、出かける前に最後の一服のタバコを吸う者、鉢巻を縛りなおして気合を入れ、体の汗を拭いて気分を変えようとする者などが生き生きと描かれている。

10.瀬戸川

 また商店街の名前が変わった。今度は「栄商工振興会」となっている。

栄商工振興会

 右手側に正定寺を見つけた。

 正定寺

 浄土宗正定寺は寛正3年(1462年)、鎌倉光明寺の僧であった信蓮社貞誉によって開創された。本尊は阿弥陀如来である。

 境内には「本願の松」がある。

本願の松

 この場所は江戸時代の東海道「藤枝宿」の宿場町の西木戸口近くにあたり、古図などに描かれている。この松は享保15年(1730年)に田中藩主であった土岐丹後守頼稔(ときたんごのかみよりとし)が大坂城代となったときに寄進されたものであるという由来が伝わる。久遠の松もすごかったが、本願の松も立派だ。

 

 勝草橋で瀬戸川を渡る。

勝草橋

 明治8年(1875年)11月に初代勝草橋が瀬戸川に架けられ開橋となった。

 勝草橋という名前は旧幕臣の伊佐新次郎岑満(いさしんじろうみねみつ)が付けたものといわれる。伊佐は、江戸幕府の時代に下田奉行所支配組頭として外国との交渉に当たるなど活躍し、唐人お吉の物語にも登場している。

 瀬戸川に橋がない頃、狐が若い娘に化けて川を渡してもらったお礼に妙薬の作り方を教えていった。その薬はよく効くので「きつね膏薬」といって評判になったようだ。蜂蜜蝋や漢方薬、ジャコウを入れて作り、ハマグリの貝に入れて太平洋戦争前まで売っていたようだ。

 

 瀬戸川を渡ると秋葉神社と志太一里塚蹟がある。

志太一里塚蹟

 志太一里塚は江戸から約200kmで50里目に当たり、瀬戸川堤から西へ約50m、岡野歯科医院の裏と、熊切商店の前の街道の両側に一里塚があったという。

 約200kmも歩いたのか、と思うと感慨深い。

 「東海道藤枝宿」の案内板がまたあった。…ん?さっきの正定寺で「藤枝宿の西木戸」という説明があったから、藤枝宿はもう終わったはずでは…?

 

 東京オリンピック聖火リレーもこの一里塚の前を通ったようだ。

 

 志太一里塚の裏には勝草橋公園があったが、遊具は見当たらなかった。

勝草橋公園

11.藤枝駅へ向かう

 そのまま道なりに進む。三角点があるので、少しだけ東海道をそれて寄ってみた。四等三角点南新屋(みなみあらや)だ。

四等三角点南新屋

 平成16年(2004年)に設置されたずいぶん新しい三角点だが、草に埋もれてわずかに標石の存在が確認できるだけだ。

 

 東海道に戻り、先に進むと岡野繁蔵出生地の碑があった。

岡野繁蔵出生地

 岡野繁蔵は青島小学校、育英学校に学び、21歳でインドネシアスマトラ島に渡り大信洋行を興し雑貨貿易商として成功し、さらにスラバヤに千代田百貨店を経営し隆盛を極めたが太平洋戦争で日本に引き揚げた。

 戦後、衆議院議員に当選し、国や郷土のために貢献したが昭和50年(1975年)に81歳で亡くなった。

 

 そのまま歩いていくと青木交差点に到着する。

 東海道はまだまだ続くが、現在15時半、ここで東海道を切り上げて藤枝駅に向かうことにする。

 

 このキャラ、なんだろう…と思ったら「管太くん!」と言うらしい。藤枝市上水道マスコットキャラクターらしい。

管太くん!の仕切弁

 足元を見たら、「FUJIEDA」と書かれたサッカーのタイルがあった。やはり藤枝はサッカーの街だ。

 

 藤枝駅に到着した。ここから静岡駅に向かい、そこから新幹線で東京に帰った。

藤枝駅

 

 次回は、藤枝駅から金谷駅まで歩く予定である。

今回の地図①

今回の地図②

今回の地図③

今回の地図④

今回の地図⑤

歩いた日:2022年11月27日

次回記事はこちら↓

octoberabbit.hatenablog.com

 

【参考文献・参考サイト】

小杉達(1992)「東海道歴史散歩」静岡新聞社

静岡県日本史教育研究会(2006)「静岡県の歴史散歩」山川出版社

風神社(2015)「ホントに歩く東海道 第6集」

お弁当どんどん 店舗案内

https://dondon.co.jp/shop/

国土地理院 基準点成果等閲覧サービス

https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/

藤枝市 「マンホールカード」を配布しています!

https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/soshiki/kankyosuido/gesuido/oshirase/1531352696524.html

藤枝市 市章、市の木・市の花・市の鳥

https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/soshiki/kikakuzaisei/koho/gyomu/4/1445916713994.html

藤枝市 「藤枝の水」について

https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/soshiki/kankyosuido/josuido/gyomu/1/1445916293361.html

藤枝市郷土博物館・文学館
孤高の作家医師 藤枝静男

https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse/11/15/1445916419771.html

藤枝宿 須賀神社

http://fujiedajuku.jp/html/shrine_13.html

藤枝宿 池厳山 全居寺

http://fujiedajuku.jp/html/temple_26.html

藤枝宿 成田山 新護寺

http://fujiedajuku.jp/html/temple_37.html

藤枝宿 熊谷山 蓮生寺

http://fujiedajuku.jp/html/temple_47.html

藤枝宿 龍池山 洞雲寺

http://fujiedajuku.jp/html/temple_40.html

藤枝宿 大徳山 称名院 正定寺

http://fujiedajuku.jp/html/temple_36.html

ふじえだ東海道まちあるき 徳川家康ゆかりの田中城

https://fujieda.tokaido-guide.jp/column/32

(2023年2月1日最終閲覧)