
前回、第8番札所 高尾山薬王院有喜寺に訪れながら高尾山に登った。今回は第9番札所 高幡不動尊に訪れながら周辺をぶらぶらしようと思う。23区に住んでいると多摩地域は近くてもなかなか行く機会がなく、初めて高幡不動に訪れた。
- 1.高幡不動尊
- 2.高幡不動尊 奥殿
- 3.高幡不動尊 勝五郎生まれ変わり伝説
- 4.高幡不動尊 山内八十八所巡り 徳島県・高知県
- 5.高幡不動尊 山内八十八所巡り 愛媛県
- 6.高幡不動尊 山内八十八所巡り 香川県
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1.高幡不動尊
今日は高幡不動駅にやってきた。

日野市のマンホールを見つけた。

日野市市制施行60周年を迎えた日野市のキャッチコピー「ありがとう60年 誠の心で これからも」に沿ったロゴマークを中心にデザインされている。
特産物や観光地をモチーフにすることで、日野市の魅力を存分に表現したものとなっており、特産品のブルーベリーやトマト、高幡不動尊金剛寺の五重塔、多摩動物公園のコアラ、浅川のアユ、清流に生息するホタルなど、水と緑の文化都市・日野市の特徴をわかりやすいデザインで表している。
別のデザインのマンホールを発見した。日野市の鳥「カワセミ」がデザインされている。

現在時刻12時、昼食を食べてから高幡不動尊へ向かおう。伺ったのは「珈琲はうす あんず村」。

どんすぱセットを注文した。どんすぱ、ハーフサンドイッチ、サラダ、コーヒーがついて1,650円。それにしてもサンドイッチの大きさが目を引く。

窓際の席だったので、京王線がひっきりなしに行き来する様子を眺めながらどんすぱをいただいた。

珈琲はうす あんず村をあとにして高幡不動尊に向かう。まずは立派な仁王門が迎えてくれた。

高幡不動尊の入口にある入母屋造の仁王門は、昭和34年(1959年)に楼門として復元されたもので、室町時代後期の再建である。
仁王像も室町時代の作であり、「高幡山」の扁額は洛東智積院7世・運敞(うんしょう)の筆で江戸初期のものである。
仁王門をくぐると正面に新丈六不動明王像(身代わり本尊)を安置する不動堂がある。

高幡不動尊(金剛寺)は成田・大山とともに関東三大不動にもあげられる真言宗智山派別格本山の寺院である。正式名称は高幡山明王院金剛寺、通称「高幡不動尊」。
高幡不動尊の創建年代は定かではないが、貞観年間(859~877年)に円仁が清和天皇の勅願で、東関鎮護の霊場として寺の西側の台地に不動堂を建立したことにはじまる。
不動堂は単層入母屋造銅板葺きで、不動明王の光背銘文には建武2年(1335年)に不動堂が暴風雨で倒壊したため、康永元年(1342年)に麓の地に移転されたと記されている。
2.高幡不動尊 奥殿
新撰組局長近藤勇と土方歳三を顕彰した殉節両雄之碑(じゅんせつりょうゆうのひ)と土方歳三像があった。これは土方歳三の菩提寺が高幡不動尊である縁による。


地方鉄道の歴史を語る玉南(ぎょくなん)電気鉄道記念の碑があった。玉南電気鉄道は大正14年(1925年)に京王電気軌道が府中~東八王子間を開通させるために設立した会社で、京王電軌とは別会社として設立されるも大正15年(1926年)に合併した。

裏の奥殿には本尊の不動明王坐像と矜羯羅童子像(こんがらどうじぞう)・制吒迦童子像の両脇侍が安置されている。

不動明王は寄木造・漆塗りの2.858mにおよぶ巨像で、木造漆塗りの両脇侍とともに平安時代の作である。
室町時代には関東以北の戦乱のたびに霊汗を流すため「汗かき不動」ともよばれた。また不動明王像内から発見された69点におよぶ南北朝時代の像内文書は、応永22年(1415年)長弁により案文された勧進状や、不動堂建立の由緒をきざむ文永10年(1273年)制作の鰐口(わにぐち)とともに、奥殿の展示室に収められている(この日は年末年始ということもあり開いておらず)。
この像内文書は、南北朝の合戦で戦死した山内経之(やまのうちつねゆき)の書状が中心で、東国武士の実態を知る貴重な資料である。
このほか奥殿には弁財天十五童子・金剛寺文書など数々の文化財が展示されているらしい。
3.高幡不動尊 勝五郎生まれ変わり伝説
文安2年(1445年)の立川河原の合戦で敗れ、この寺で自害した上杉憲顕(うえすぎのりあき)の墓があり、墓の周りをお堂(上杉堂)で覆っている。

平安時代の様式を模して昭和55年(1980年)に再建された五重塔がある。五重塔の地下に高幡不動の寺務所があり、そこで関東三十六不動の御朱印をいただいた。



聖天堂がある。聖天とは歓喜天ともよばれ、象頭人身の男女2神が抱擁している姿を祀っている。聖天像は非公開だったが、何かのきっかけで聖天像の実物の画像を見たらなかなかインパクトの強い見た目だったことは覚えている。

高幡不動尊の墓地の一角に、藤蔵の墓がある。

中野村(現在の八王子市東中野)で生まれた小谷田勝五郎が8歳になった文政5年(1822年)秋、自分の前世は程久保村(現在の日野市程久保)の藤蔵であると語った。程久保村の藤蔵が実在した人物とわかるとこの話は江戸で大評判になった。
勝五郎の生まれ変わりの話を、当時の大名・松平(池田)冠山や国学者の平田篤胤が勝五郎本人並びに家族から聞き書きし書物に著した。平田篤胤がこれを書いた自分の著書を仁孝天皇に献上したため、御所でも生まれ変わりの話が評判になった。
明治時代に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン。現在の連続テレビ小説「ばけばけ」でも主要人物として登場する。)が英文でこのことを西洋に紹介したことにより、勝五郎の生まれ変わり話は海外でも知られるようになった。勝五郎の生まれ変わりの話は現在も写本を含め多くの書物が存在する。
藤蔵は疱瘡にかかってしまい、文化7年(1810年)2月4日に6歳で亡くなった。藤蔵の墓は近くの山のなかにあったが、その場所も昭和40年代に宅地造成されたため昭和47年(1972年)に高幡不動尊墓地に改葬された。
「転生モノ」は漫画やアニメ等で現在も多く作られている人気コンテンツなので勝五郎生まれ変わりの話が話題になるのも理解できる。本当に勝五郎は藤蔵の生まれ変わりだったのか…?それを科学的に証明する方法はない。ただ私は前世、どんな人間でどんな人生を歩んでいたのか、気になることはある。調べる方法はないにしても。
墓地から戻り、大日堂に参拝する。

大日堂には、外陣天井に描かれている掛川藩士・中村岳蓮(なかむらがくれん)による墨絵の「鳴り竜」や幕末の新撰組副長土方歳三の位牌もみることができるようだが、この日は公開していなかった。
大日堂の脇には金剛桜がある。

金剛桜の原木・薬師桜は山形県白鷹町高玉の薬師堂前にある、樹齢1,300年のエドヒガンである。
山形県白鷹町に住む金田聖夫氏は、樹齢1,300年のエドヒガンの命を後世に伝えるため、エドヒガンの種子を蒔いて作った台木に親木の芽を接いで、親と全く同じ遺伝子を有する分身を育てることに成功した(要はクローン)。
このエドヒガンの分身を平成14年(2002年)11月15日、奥殿の不動明王坐像と矜羯羅童子像・制吒迦童子像の保存修理完了を記念して植樹、金剛桜と名付けた。
今は冬なので何も咲いていなかったが、春になると綺麗な花を咲かすのだろうか。
大日堂から少し戻ると、一間社流造・銅板葺きの五部権現社殿がある。

金剛寺の鎮守社であるこの社殿は寛文11年(1671年)に再建されたもので、源頼義勧請の八幡大菩薩を中心に五神が合祀されており、その「暦応3年(1340年)」の銘のある神牌(しんぱい)5基の裏には本地仏がきざんであるなど、神仏習合や本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ。神は仏が仮に姿をかえてこの世にあらわれたとする平安初期以来の思想)の資料として注目されている。
4.高幡不動尊 山内八十八所巡り 徳島県・高知県
北条氏照の家臣・高幡十右衛門の居城とされる高幡城址をまわる山内八十八所巡りがある。1周1時間目安(ちなみに私は1時間以上かかった)で、のんびりと周ってみることにしよう。
山内経之供養塔がある。

高幡不動尊に南北朝期の貴重な像内文書を残した土渕郷(現在の日野市)の小領主・山内経之(やまのうちつねゆき)は北朝方の高師冬(こうのもろふゆ)の北畠親房攻めに参加し、下総国の駒城合戦で戦死した。
像内文書は山内経之が下総へ向かう途中やさまざまな合戦のさなかより留守家族や高幡山の僧に届けた書状が中心で、戦費調達の苦しさや所領経営の破綻・戦闘の実態・寺院との関係など中世武士の生の生活記録となっており、69枚の文書中50枚は経之の筆であることが確認されている。
これらの文書は、経之の遺族や関係者が戦死した経之ゆかりの書状の背面に不動明王や大黒天の印仏をして、当時建武2年(1335年)の大風の被害を受け修理中であった不動明王の頭部に納めて故人の冥福を祈ったものである。
文書の存在は昭和初期に確認されたもののネズミの被害等の損耗が激しく解読不能と見られていたが、昭和60年(1985年)からの文化財綜合調査でその重要性が指摘されその後日野市教育委員会の手で数年かけて全容が解明され、全国に類例のない中世武士の貴重な文書として重要文化財に指定された。
文書を残した山内経之一族の消息は不明だが、高幡不動尊では中世の九輪塔を山内経之供養塔として山裾に移設し、その菩提を弔うことにしたそうだ。要はここに山内経之はいないのだが、手を合わせておいた。
山内八十八所巡りをはじめよう。まずは第1番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」。

霊山寺は徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。第1番札所ゆえ、「発願の寺」として一年中多くのお遍路さんが訪れる寺院である。
ちなみに山のなかには本当に88個のお地蔵さんがいるのだが、全部紹介していると記事が長くなってしまうので端折って紹介することをお許しいただきたい。
第12番札所「焼山寺(しょうさんじ)」。

焼山寺は徳島県神山町にある真言宗の寺院。四国山地の山深いところにあるため、阿波霊場三難所のひとつにも数えられ「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれる。
第20番札所「鶴林寺(かくりんじ)」。

鶴林寺は徳島県勝浦町にある真言宗の寺院。先ほどの阿波霊場三難所の「二にお鶴」はここのことであり、鶴林寺山の山頂近くにあるためこう呼ばれるようになった。
第21番札所「太龍寺(たいりゅうじ)」。

太龍寺は徳島県阿南市にある真言宗の寺院。先ほどの阿波霊場三難所の「三に太龍」はここのことであり、太龍寺山弥山の山頂近くに位置する。この「阿波霊場三難所」のなかでは唯一ロープウェイがあるため、歩き遍路にこだわらなければ他と比べたら若干難易度が下がるかもしれない。
第23番札所「薬王寺(やくおうじ)」。

薬王寺は徳島県美波町にある真言宗の寺院。これで徳島県の札所は終了だが、前後の札所の第22番札所・平等寺まで約20km、第24番札所の最御崎寺に至っては約75kmも離れている。これは四国八十八ヶ所の札所間距離で2番目に長い(もっと上がいるのかよ)。歩き遍路にこだわらなければ牟岐線の日和佐駅から500mほどと、アクセスは悪くないのだが…。
高知県の札所に入る。第24番札所「最御崎寺(ほつみさきじ)」。

最御崎寺は、高知県室戸市にある真言宗の寺院で、高知県最初の札所。室戸半島の先端の岬・室戸岬の近所にある。
第36番札所「青龍寺(しょうりゅうじ)」。

青龍寺は高知県土佐市にある真言宗の寺院。次の札所、第37番札所「岩本寺」までの間の遍路道のひとつに市営巡航船に乗るルートがあり、一度乗ってみたいと思っている。
第37番札所「岩本寺(いわもとじ)」。

岩本寺は高知県四万十町にある真言宗の寺院。第36番札所「青龍寺」とは約60km、第38番札所「金剛福寺」まではなんと約80kmも離れている(こちらは札所間距離最長記録)。さすがに前後と離れすぎているため宿坊が設置され、ほとんどのお遍路さんはここで一泊するらしい。なお、現在でも宿坊が設置されている。
第38番札所「金剛福寺(こんごうふくじ)」。

金剛福寺は高知県土佐清水市にある真言宗の寺院。誰でも行ける四国最南端、足摺岬の近所にある。なお次の延光寺とも約52km離れている。
実は金剛福寺は昨年9月に足摺岬に行ったときに寄っている。


第39番札所「延光寺(えんこうじ)」。

延光寺は高知県宿毛市にある真言宗の寺院。こちらが高知県最後の札所となる。先ほど書いた足摺岬への旅行で宿毛にも行ったので行くことも検討したのだが、宿毛駅から平田駅に移動し、そこから2.5km歩かなければ行けないようなのでやめておいた(寺山口バス停から徒歩1km、三原分岐バス停から2.4kmのルートもあるが)。
5.高幡不動尊 山内八十八所巡り 愛媛県
山の尾根に出て、日野のまちを見下ろす。今日はいい天気だ。

愛媛県の札所に入る。第40番札所「観自在寺(かんじざいじ)」。

観自在寺は愛媛県愛南町にある真言宗の寺院で、愛媛県最初の札所。第1番札所「霊山寺」から最も離れていることから「四国霊場の裏関所」とも呼ばれている。
第44番札所「大寳寺(だいほうじ)」。

大寳寺は愛媛県久万高原町にある真言宗の寺院。四国八十八ヶ所の第44番札所、真ん中であることから「中札所」といわれる。久万高原に位置しており標高は579m。
第45番札所「岩屋寺(いわやじ)」。

岩屋寺は愛媛県久万高原町にある真言宗の寺院。岩屋寺は標高565m付近にあり、本堂の位置で比較すると八十八ヶ所でも4番目に高い場所にあり、岩屋寺バス停や駐車場から30分近く参道を歩いて登らないとたどり着けないので、難所のひとつとされている。
第51番札所「石手寺(いしてじ)」。

石手寺は愛媛県松山市にある真言宗の寺院。初詣・厄除詣の参詣者数は愛媛県随一であり、道後温泉から近いこともありお遍路のほかにも観光客でにぎわうことが多い。
ちなみに石手寺には数年前、会社の業務で愛媛県松山市に滞在していたことがあり、そのときに訪れている。

第65番札所「三角寺(さんかくじ)」。

三角寺は愛媛県四国中央市にある真言宗の寺院。龍王山の中腹、標高355mあたりにある愛媛県最後の札所である。
6.高幡不動尊 山内八十八所巡り 香川県
第66番札所「雲辺寺(うんぺんじ)」。

雲辺寺は徳島県三好市の雲辺寺山山頂近くに位置する真言宗の寺院。こちらも雲辺寺ロープウェイがあり、歩き遍路にこだわらなければ楽に参拝できる。
第67番札所「大興寺(だいこうじ)」。

大興寺は香川県三豊市にある真言宗の寺院。香川県最初の札所となっている。
第68番札所・第69番札所「神恵院(じんねいん)」と「観音寺(かんのんじ)」。


神恵院・観音寺は香川県観音寺市にある真言宗の寺院。この2つの寺院は同じ境内にあるため、札所間距離も最短となっている(というか0)。また、観音寺は「観音寺市」の由来でもある。
日野のまちを見下ろす。

第85番札所「八栗寺(やくりじ)」。

八栗寺は香川県高松市にある真言宗の寺院。山の上にあるが、八栗ケーブルというケーブルカーが走っているので、歩き遍路にこだわらなければ苦しまずに登れる。
第88番札所「大窪寺(おおくぼじ)」。

大窪寺は香川県さぬき市にある真言宗の寺院。最後の寺院(結願所)であるため納経院は「結願所」だったり、結願証明書(賞状)を有料で書いてくれるサービスもあるらしい。
なお、八十八ヶ所はすべて巡った後に高野山の奥の院に詣でて、すべての札所に参拝することができたことを弘法大師に報告・感謝する「お礼参り」で締める。第88番札所の隣には高野山奥の院を象った(?)大師堂もある。

高幡不動駅に戻り、この日は終了とする。

昨日行って気持ちが良かったので今日も京王高尾山温泉 極楽湯に来てしまった。脱衣所で荷物を置いたタイミングであることに気がついた。
「一眼レフがない…!?」
冷静に行動を辿っていくと、おそらく高幡不動駅のお手洗いに置いてきてしまったらしい、という結論に至った。
脱衣所では電話できないので、一旦フロントのあたりまで行って高幡不動駅に電話をかけた。幸い、誰かが回収して駅の事務所まで届けてくれたようで、温泉に行ってから帰り道で高幡不動駅で途中下車、回収に行くことにした。
まったく、これが「やらかし納め」か…と思いつつ温泉に入り、温泉の後はビールとまぐろ山掛け丼を食べた。



まぐろ山掛け丼を食べ終わった後で温泉をあとにし、その日のうちに無事、一眼レフは回収できた。

高幡不動は名前を聞いたことはあったが、行ったのは初めてだった。境内では正月準備が進められており、正月はたくさんの人が参拝に行くのだろうなと思った。
勝五郎生まれ変わり伝説については、この手の転生モノは現代でもかなり使われるコンテンツではあるので、昔からこの手の話は日本人が好きだったのだろうと思った。
山内八十八ヶ所巡りは、流石に四国八十八ヶ所と同じご利益を得られたとは思えないが、お金と時間があればいつか四国八十八ヶ所はやってみたい。
私の知らない東京が、まだまだありそうだ。

歩いた日:2025年12月29日
【参考文献・参考サイト】
東京都歴史教育研究会(2021) 「東京都の歴史散歩 下 多摩・島嶼」 山川出版社
関東三十六不動霊場会(2017) 「関東三十六不動霊場ガイドブック」
東京都下水道局 日野市デザインマンホール蓋
https://www.gesui.metro.tokyo.lg.jp/pr/kouhou/designmanhole/hino
(2026年3月1日最終閲覧)










































































































































































































































































































