「お写ん歩書房」の石井建志さんにお誘いいただき、「玉川上水 羽村チューリップ&八雲神社神輿の川渡り×福生ベースサイドストリート×立川 まち歩き」に参加してきた。
前回の記事同様、この記事を上げるのが6月なのでチューリップを語るには遅すぎる気もするが、お付き合いいただきたい。
- 1.稲荷神社
- 2.チューリップ畑
- 3.羽村取水堰
- 4.八雲神社神輿の川渡り
- 5.玉川上水第三水門
- 6.福生アメリカンハウス
- 7.福生ベースサイドストリート
- 8.ファーレ立川の現代アート
- 9.GREEN SPRINGS
1.稲荷神社
今日は9:35に羽村駅集合だったため、少し早起きして羽村駅に向かった。
この坂の下に住む農家の人たちは、畑が段丘崖の上にあったので、この坂を登るのに大変苦労し、肥料や農作物の運搬は、荷車を引く馬に頼っていた。このため急な坂を登った途中に水飲み場を作り、馬をいたわった。
この坂は近くに禅林寺があるので「お寺坂」と呼ばれている。
馬の水飲み場の裏にある神社が稲荷神社だ。
稲荷神社の創建年代は不詳だが、ここに遷座したのは明治39年(1906年)だったようだ。
稲荷神社にお神輿があった。
稲荷神社は河岸段丘の上にあり、その下がすぐ崖なので境内から多摩川方面を望むことができる。
河岸段丘上からの景色を見ていたら、神輿が外に出ていった。
稲荷神社をあとにして、河岸段丘の上を歩いていると羽村市のマンホールを見つけた。
マンホールの中央にデザインされているのが羽村市章だ。羽村市の羽の字をもとに、羽村の堰から噴出する水を円形に、二本の虹で未来に躍進する産業と文化を表し、丸形は市民の融和と団結を表しているようだ。昭和31年(1956年)制定。
小さな神社を見つけた。聖徳神社というらしい。
聖徳神社の御祭神は予想通り、聖徳太子らしい。そういえば聖徳太子が祀られている神社は初めて見たかもしれない。
八雲神社で祭礼があるからか、民家の軒先に夜燈が飾られていた。
河岸段丘上を歩く。左側はすぐ崖だ。
羽村市護国神社は明治39年(1906年)、旧羽村出身で日清・日露戦争で戦死した人の英霊を祀るために創建された。
また河岸段丘を下りるところに、雨乞街道が通っている。
真夏の日照りが続くと、この地に住む人は裸でこの街道を通り抜け、丸山下にある渕で木製の龍頭をしずめて雨乞いをしたことから、この名がつけられている。現在、裸で雨乞街道を歩いていたら公然わいせつ罪で捕まってしまうだろう。
2.チューリップ畑
河岸段丘の下に下りると、チューリップ畑が広がっている。
羽村は水田にふさわしい土地がほとんどなく、唯一の水田が多摩川の沖積低地を利用した根がらみ前水田である。この水田で、田植えの前の時期にチューリップが植えられてチューリップまつりが開催されている。
春といえば、桜はもちろん、秩父・羊山公園の芝桜やひたちなか海浜公園のネモフィラは有名で多くの人が訪れるが、このチューリップ畑はそれほど知名度がないのか、満開なのにそれほど混んでいなかったので穴場だな、と感じた。
白いチューリップのなかに赤いチューリップが一輪、混じっている。
ここは黄色いチューリップが植えられているが、やはり赤い花がある。
水面に映るチューリップ。
こちらはオレンジのチューリップのなかに白い花。
ピンクのチューリップもかわいい。
紫のチューリップは綺麗だ。
黄色と赤の混じったチューリップはかわいい。
白と紫の混じったチューリップも可憐だ。
チューリップを堪能したら、朝早くてウィダーインゼリーしか飲んでいなかったので今川焼で小腹を満たしてから、集合場所に向かった。
3.羽村取水堰
チューリップ畑をあとにして、多摩川沿いを歩く。桜の木があったが、だいぶ葉桜になっている。
福島県原産の三春の滝桜もあったが、こちらも葉桜。
都道29号線に出ると、玉川水神社がある。
玉川水神社の祭神は彌都波能賣神(みずはのめのかみ)、水分大神(みくまりのおおかみ)。
玉川水神社は玉川上水が承応3年(1654年)徳川幕府によって完成されたとき、水神宮としてここに建立された。明治26年(1893年)に玉川水神社と名前を変えた。
ここで、玉川上水について説明する。
武蔵国多摩郡羽村の多摩川に取水口を設け、四谷大木戸に至る43.73kmを、標高差わずか92mのゆるい勾配で導水する施設として造られた素掘りの水路が玉川上水である。
慶長8年(1603年)、江戸に幕府が開かれ、その後都市江戸の膨張に伴い、神田上水だけでは飲料水がまかないきれない段階となった。
そこで、一部の江戸町人の間から幕府に玉川上水を開くことの請願書がだされるようになり、承応2年(1653年)、幕府は玉川上水開削の許可をあたえ、翌年に完成したといわれている。
武蔵野台地の開発用水(灌漑用水・生活用水)としての役割もはたす一方、通船も行われたが、昭和41年(1966年)にその役目を終えた。平成15年(2003年)には開削350年を迎え、国史跡に指定された。
羽村取水堰は玉川上水の水を取水する堰である。多摩川の増水時には堰が取り払われる「投渡網」の仕組みは、江戸時代から現在まで変わることなく伝承されている。
取水堰には第一水門と第二水門があり、水量調節されて余った水は小吐水門から多摩川に戻されている。
羽村取水堰の少し先には、玉川兄弟の像がある。
江戸開幕からまだ50年しかたっていない承応2年(1653年)、取水地点の羽村から四谷大木戸までの約43kmの間に水を流す工事を竣工させた、玉川庄右衛門(たまがわしょうえもん)・清右衛門(せいえもん)兄弟の功績をたたえて、昭和33年(1958年)に堰上の公園内に玉川兄弟の像が建てられた。
350年も前に、43kmもの水路を建造した技術はすごいと思う。
4.八雲神社神輿の川渡り
羽村取水堰近くの多摩川で、八雲神社神輿の川渡りが行われたので見に行った。
今日は、羽村市内の神社、八雲神社、阿蘇神社、神明神社、玉川神社が合同で天王祭を行い、神輿や山車を出して氏子域内を巡回していた。八雲神社は稲荷神社に合祀されている。だからさっき神輿があったのか。
担がれる神輿は長い年月を経て受け継がれているものなのだが、八雲神社の神輿は惜しげもなく多摩川へ担ぎ込んでいる。これは、もともと天王祭が8月の祭りで、あまりの暑さに川に飛び込んだことがきっかけといわれている。
まず子ども神輿が多摩川へやってきて、浅瀬を行き来する。その後大人神輿がやってきて肩まで水につかり何度も練り、気勢をあげながら川を渡る。
コロナの影響もあり、今年川渡りは4年ぶりに行われた。
私が来たときは既に子ども神輿は終わっていて、大人神輿が川へ入っていくところだった。
私はこの日一眼レフを持ってきていたが、混んでいたのと、それほど背が高くないのでスマートフォンを精一杯伸ばして撮影した。スマートフォンは望遠機能がないので画質があまりよろしくないのは致し方ない。
大人神輿が一度陸に出たので、みんなもう終わりだと思ったのか帰りはじめたが、神輿はまた川に入っていった。私は少し遅れて行動したのが幸いし、少しの間だったが、最前列で撮影することができた。
一眼レフで撮ったベストショットがこれだ。
二度川のなかに入ったあと、大人神輿は帰っていった。いやー、いいものを見た。
5.玉川上水第三水門
八雲神社神輿の川渡りが終わり、玉川上水沿いを歩く。山車がお囃子をやっていたので、参加者のうち何人かが吸い込まれてはぐれかけた。
玉川上水の堰を見つけた。大きい。
この堰の奥に、玉川上水第三水門がある。左奥の石造りの構造物が水門だ。
羽村取水堰で取水された多摩川の水の一部は第三水門から村山貯水池(多摩湖)と山口貯水池(狭山湖)に送られている。
玉川上水沿いを歩いていると「羽村町」と書かれた看板を見つけた。
羽村市は平成3年(1991年)に市制施行し、それ以前は羽村町だったので、この看板は平成3年(1991年)以前に設置されたものとわかる。「ごみ持ち帰り運動」は今もやっているのだろうか。
余談だが、羽村市の前身の西多摩村が発足したのが明治22年(1889年)で、それ以降羽村市は一度も市町村合併をしていない。昭和の大合併も平成の大合併も経験していないのだ。これは珍しいと思う。
堂坂を登り、玉川上水に別れを告げる。
この坂を下りる途中の左側あたりに薬師堂があったことから、この坂は堂坂と呼ばれているようだ。この薬師堂は玉川上水の工事の際に台地上に移された。
羽村駅方面に戻る。信楽焼のたぬきに「注意」と書かれた石。夜になると狸が人に化けて悪さでもするのだろうか。
ひのきの子児童遊園の北にある道は何の変哲もない道に見えるが、この道の地下で第三水門で取水された水が多摩湖まで流れているようだ。
羽村駅前にデザインマンホールを見つけた。
玉川上水沿いには約200本の桜の木があり、毎年行われる「はむら花と水のまつり」は多くの人出で賑わうようだ。
6.福生アメリカンハウス
牛浜駅に降り立ったら、たっけー☆☆がお出迎えしてくれた。
たっけー☆☆とは、福生七夕まつりのイメージキャラクターとして平成16年(2004年)に誕生した竹の妖精で、平成25年(2013年)に福生市公式キャラクターに就任した。
牛浜駅から出て東に歩くと、福生市章が描かれたマンホールを見つけた。
福生市章は、ふっさの「ふ」を図案化したもので、福生市の将来の雄飛と市民の円満和合の姿を現している。昭和35年(1960年)制定。
国道16号線に出て、昼食および散策の時間となった。私は石井さんがお勧めしていたHoopで昼食を食べた。
これはハム&ラクレットチーズのサンドイッチ。
これはジューシーチキンエッグのサンドイッチ。
私の隣でHoop BLTを食べている参加者の方がいて、ボリュームがすごかったので思わず写真を撮ってしまった。
福生アメリカンハウスは昭和33年(1958年)に建てられた米軍ハウスを利用していて、建物内を自由に内覧できるコミュニティースペースである。
米軍ハウスとは、昭和26年(1951年)の朝鮮戦争で米軍基地の人員が増え、基地内に収まりきらなくなった米兵のために作られた住宅である。
その後朝鮮戦争が終結し、米軍基地の規模が縮小されるにつれ、1970年代頃には米兵が基地内に移り住むようになる。誰も住むことのなくなった米軍ハウスは自治体に返還されるなどし、日本人が住むようになった。
最盛期には2,000棟も建てられた米軍ハウスだが、現在は150棟ほどしか残っていない。
なかに入ると、日の丸と星条旗が飾られたリビングが出迎えてくれる。
「HappyFaster」と読んでしまい、意味を調べたが出てこなかったので、多分これは「HappyEaster」だ。何はともあれ、インテリアがかわいい。
アメリカンな食器棚。
英語で書かれた、福生周辺の地図。Y.A.B.(Yokota Air Base:横田基地)の範囲がFUSSA(福生市)とHAMURA(羽村市)、MIZUHO(瑞穂町)、MUSASHI-MURAYAMA(武蔵村山市)、TACHIKAWA(立川市)、AKISHIMA(昭島市)に及んでいることがわかる。
アメリカンハウスで光る照明がかわいかった。
福生アメリカンハウスをあとにし、道路挟んで向かい側のアメリカンハウスに向かう。ここはMacha's Houseという雑貨屋さんだ。
なかはこんな感じ。ちなみに、福生には雑貨屋さんが多いが、撮影NGの雑貨屋さんもあるので(今回訪れたところで撮影OKはここだけだった)、注意。
7.福生ベースサイドストリート
国道16号沿いを歩く。このあたりは「福生ベースサイドストリート」と呼ばれ、アメリカ空軍基地である横田基地沿いの国道16号線にたくさん並ぶアメリカンテイストのショップを中心に、異国情緒を味わえるストリートとなっている。
ここはTABASAという雑貨屋さん。外装がかわいい。
木を植えるレストラン オーロラ。「空から地球を見てみよう」という番組で、「植物でもじゃもじゃになった家(建物)」のことを「もじゃハウス」と紹介していたので、それ以来このような建物を見ると「あ、もじゃハウスだ」と思ってしまう。
ナルニア国という雑貨屋さん。店内がアメリカンですごくかわいかったのだが、残念ながら撮影NG。
ナルニア国の少し先にあるアンティークショップ、BIG MAMA。大きなコーラが印象的。ここも内装がアメリカンで良いのだが、撮影NG。
横田基地第5ゲートが見えてきた。
横田基地の看板。
横田基地は昭和15年(1940年)に旧立川飛行場の付属施設である多摩陸軍飛行場として開設され、試作機のテストなどに使用されていた。
終戦直後の昭和20年(1945年)9月からアメリカ軍の基地となり、翌年横田基地と改称された。
現在は在日アメリカ軍司令部・第5空軍司令部がおかれるアメリカの極東における主要空軍基地となっている。5市1町にまたがる697haにおよぶ広大な敷地には4,000mの滑走路があり、絶えず軍用機が離着陸している。
横田基地第5ゲートから集合場所のHOOP前に戻っていると、福生ベースサイドストリートの地図を見つけた。
福生で「川越 28km」という青看板を見つける。ここから故郷(川越)に繋がっているのか、と思う。
HOOPの隣にはBLUE SEALがある。
BLUE SEALは昭和23年(1948年)、沖縄県うるま市の米軍基地に設立され、昭和38年(1963年)に沖縄県浦添市に米軍基地外の1号店が開店した。
現在は沖縄県内17店舗を含め、全国で51店舗ある。一見アメリカンに見えて、フレーバーは塩ちんすこう味や紅イモ味といった沖縄風のものもあり、「アメリカンなアイス」というよりかは「オキナワンなアイス」という印象だ。
私は沖縄に行ったときに食べたことがあるが、今回は食べる時間がなかったのでまたいつか食べてみたい。
8.ファーレ立川の現代アート
立川駅に降り立った。立川は多摩エリアの主要都市のひとつだけあって、大きい。
立川駅前に「風に向かって」というブロンズ像がある。
これは少年が模型飛行機を飛ばそうとしている像と飛行機の主翼をイメージしたベンチが組み合わされた作品で、立川飛行場や米軍基地などの歴史から立川と縁の深い飛行機を題材に、未来を担う少年の夢と結びついて、立川駅北口の新たなシンボルとして創作された。
このブロンズ像は「ファーレ立川アート」のひとつである。
平成6年(1994年)10月13日にオープンした「ファーレ立川」とその周辺は、大正から昭和の時代にかけて「立川飛行場」として栄え、第二次世界大戦後は米軍基地となった。
昭和52年(1977年)に米軍基地が全面返還されたあと、昭和57年(1982年)に立川市が「立川都市基盤整備基本計画」を、昭和58年(1983年)に東京都が「多摩都心立川計画」を策定したことにより、広大な跡地は国営昭和記念公園や広域防災基地として整備された。そこで、ファーレ立川の計画も始まった。
ファーレ立川のアート計画では「世界を映す街」「機能を物語に」「驚きと発見の街」というコンセプトが生まれた。また、「ファーレ」という名前は、イタリア語の「FARE(創造する)」に立川の頭文字「T」をつけて「FARET」と名付けられた。
これはイギリス人トニー・クラッグが作ったセルタイプス、オーガネル、オーガニズムという作品。
これは生命の増殖のエネルギーを表しているらしい。胎児だろうか。
この作品はタイトルなし。ナイジェリア人のサンデー・ジャック・アクパンが作った作品で、ナイジェリアの首長が勢揃いしている。
アクパンの村では、村人それぞれが一番素晴らしい姿の肖像を彼に注文するらしい。普通は正装の姿を、サッカー選手ならボールを蹴った瞬間の肖像を頼むらしい。そしてそれは注文主が死んだときに墓に建てられる。遺影のようなものだろうか。
そして夜にこれ見たら怖いだろうなぁ。
これは「自転車もどきⅥ」という作品で、ロバート・ラウシェンバーグが作成した。
これは自転車にネオンをつけて面白くしたもので、駐輪場のサインの意味もあるらしい。珍しく、実用性のあるアートだ。
この作品もタイトルなしで、フランス人のジャン=ピエール・レイノーが作成した。
これは赤い植木鉢らしいが、私はずっと土管だと思っていて、「マリオが出てきたら面白いな」と考えていた。
これはフランス人のニキ・ド・サンファルが作った「会話」という作品。
原色を使ったやわらかな形で生命の力をうたいあげているらしい。
これに座って写真を撮っている人もいた。
これは植松奎二が作った「浮くかたち-赤/垂」という作品だ。
丸い自然石と真っ赤な円錐状の鉄棒と鉄板という4つの要素が力学的にも色彩上でも劇的なコントラストで関係している作品、らしい。GoogleMapのピンが実在したら、こんな感じなのだろうか。
でかい丸太が落ちているなと思い見ると、西雅秋の「遡洄する大木」という作品だった。
これは車止めにも、ベンチにもなる作品だ。「自転車もどきⅥ」と同じく、実益性を兼ねている。
これはロシア人のフランシスコ・インファンテの作品で、タイトルはない。実(絵を描いた陶板)を虚(鏡面ステンレス)に反射させることでいつもの考えを都市のなかに実現したようだが、その考えを読み取ることはできなかった。
これはアメリカ人のマーティン・プーリエの作品で、タイトルはない。これは御影石の上に浮かぶステンレスでできた「透明な島」を作っているらしい。HPを見るまで島だと思わなかった。
これはジンバブエ人のヘンリー・ムンヤラジの作品で、タイトルはない。これはジンバブエのショナ族の社会観を源流にしたショナ彫刻の作品のようだ。
これは竹田康宏の作品で、タイトルなし。つぼみを題材として花、葉、実を通したいのちの表現らしい。HPを見て初めて花などをイメージしていると知った。
こんな感じで30分程度現代アートを鑑賞していたが、特に解説がなかったこともあり(解説板もない)、「次の場所に行きたい」という意見が出てきたので、GREEN SPRINGSに向かうことになった。
アートに興味のある人なら立川のアート作品を楽しめると思うので、TACHIKAWA ART COLLECTIONのリンクを載せておく。
www.tachikawa-artcollection.jp
9.GREEN SPRINGS
GREEN SPRINGSに向かう途中で、立川市のマンホールを見つけた。
これは立川市の花「コブシ」をデザインしたもの。
一見現代アート的な三角形がデザインされたマンホールかと思いきやよく見るとかわいいうさぎが…!
このキャラクター、平成24年(2012年)に制定された立川市キャラクターの「くるりん」である。無断使用はダメらしいのでどんなキャラクターかよく見たい人のためにリンクを貼っておく。
GREEN SPRINGSは令和2年(2020年)に開業した商業施設で、ホテル「SORANO HOTEL」、ホール「TACHIKAWA STAGE GARDEN」、オフィス、店舗、レストラン、公園、人工滝などがある。
天然芝が広がる芝生広場があり、ござの上に座ってくつろぐ人の姿があった。
芝生広場の奥にはカスケードがある。カスケードは立川飛行場の滑走路をモチーフにしているようだ。GREEN SPRINGSの土地は、大正11年(1922年)から立川飛行場として使用され、昭和20年(1945年)の終戦後は米軍基地となり、昭和52年(1977年)に日本に返還されてから開発されたのである。
カスケードを登り切り、振り返ると水の流れが綺麗だった。
カスケードの奥にはスカイデッキがあり、昭和記念公園を一望できた。
昭和記念公園は昭和天皇御在位50年記念事業の一環として米軍の立川飛行場跡地につくられた総面積180haにもおよぶ国営公園である。行ったことはないので、いつか行ってみたい。
スカイデッキから降りると、ファウンテンに向かう。
要は噴水なのだが、HPでは「光とともに水が躍る」と表現している。毎時0分には辻井伸行作曲「GREEN SPRINGS」とともに水と光と音楽による演出が楽しめるらしい。
予定より大幅に早く終わってしまい、懇親会の時間も18時以前にはできなかったようなので、懇親会に参加しない人は解散、参加する人は18時に再度集合、ということで自由時間になった。
私はまず、TAKEOFF-SITEに向かい、R-HM型軽飛行機を見た。これは立飛グループが制作した小型飛行機である。
その後、PAPER MOONというケーキカフェでコーヒーとパンプキンプディングをいただきながら、18時まで読書した。コーヒーもパンプキンプディングも美味しかった。
18時になって、懇親会が始まった。
やはり歩いた後のビールは美味しい。
今回懇親会が行われたのはGREEN SPRINGSのなかにあるgoodspoon pizzeria&cheese 立川店。チーズのお店、というだけあってコースでブッラータが出てきた。
そしてチーズフォンデュ。チーズフォンデュは初めて食べたが、美味しかった。
懇親会を終え、店をあとにするとカスケードのライトアップが幻想的だった。
幻想的にライトアップされている現代アートを見つけた。これはエマニュアル・ムホーのmiraiという作品だ。
これは2020年から2119年までの「未来」の100年を視覚化した彫刻である。2119年…生きていたら123歳だが、多分いないだろう。
植木鉢が妖しく光っていた。
「自転車もどきⅥ」のネオンが輝く。
まだ深夜ではないからか、ナイジェリアの首長もそれほど怖くなかった。
セルタイプス、オーガネル、オーガニズムの表情もどこか違う。
立川駅で解散し、帰路についた。
東京23区の外、多摩地域。行こうと思えばいつでも行けるけれど、なかなか行く機会がない。羽村のチューリップ畑に羽村取水堰、八雲神社神輿の川渡り、福生ベースサイドストリート、GREEN SPRINGS…どれも初めて行った場所ばかりだった。
私の知らない東京が、まだまだありそうだ。
歩いた日:2023年4月9日
【参考文献・参考サイト】
多摩武蔵野スリバチ学会(2021)「多摩・武蔵野スリバチの達人」昭文社
東京都歴史教育研究会(2021)「東京都の歴史散歩 下 多摩・島嶼」山川出版社
羽村市 市章、市の木・花・鳥
https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000001762.html
神社人 聖徳神社
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=950
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=957
多摩の歳時記<祭り編> 八雲神社神輿の川入れ
https://imatama.jp/contents/tama_saijiki/festival/hamurayakumo/
羽村市 マンホールカード
https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000010587.html
福生市 福生市公式キャラクター「たっけー☆☆」をご利用ください!
https://www.city.fussa.tokyo.jp/sightseeing/osusumeevent/caracter/1007258.html
http://www.fussabasesidestreet.com/shoplist/?id=1476420037-269510
福生ベースサイドストリート 福生ベースサイドストリートの魅力
http://www.fussabasesidestreet.com/charm/
BLUE SEAL シル知るブルーシール
https://www.blueseal.co.jp/stories/
TACHIKAWA ART COLLECTION
https://www.tachikawa-artcollection.jp/
https://www.city.tachikawa.lg.jp/kururin/profile/index.html
GREEN SPRINGS FLOOR MAP
https://greensprings.jp/floor/
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11623291/www.mod.go.jp/gsdf/eae/eaavn/history.html
https://www.showakinen-koen.jp/about-park/
(2023年6月14日最終閲覧)