10月うさぎの部屋

10月うさぎがいろいろ語る部屋

うさぎの気まぐれまちあるき 境界協会FW「豊島区・北区完歩計画」

 

 


 半年ほど前に「境界協会」のイベントに参加したからか、主催者の小林さんからこのイベントの招待が来たので参加した。前日「渋谷の凸凹地形体験の集い(第2回)」に参加していたので体力が持つか少し不安だったが、案外いけた。ちなみに、「渋谷の凸凹地形体験の集い(第2回)」と「境界協会」に両方参加した人もいた(私に2日とも挨拶してきたのは1人だったが、ほかにも2、3人いた気がする)。

1.千川上水

 板橋駅に12時半集合。私の家の最寄り駅の1つが都営三田線板橋区役所前駅で、そこから1駅の新板橋駅から歩いていけるので、12時頃まで喫茶店で読書してから向かった。

 主催者の小林さんに挨拶して、地図をもらう。

 

 板橋駅から埼京線の高架をくぐった先に、板橋区・北区・豊島区のトリプルジャンクションがある。トリプルジャンクションだからといって何かあるわけでもない。

板橋区・北区・豊島区のトリプルジャンクション

 ここから道路を挟んで北区と豊島区側に分かれる。まずは北区側を歩いた。

 足元の「路上喫煙禁止地区」には「北区」と書いてある。

 

 北区の境界標を見つけた。

北区境界標①

 少し歩くと、豊島区の境界標も見つけた。

豊島区境界標①

北区境界標②

 これは、北区の区章タイプの境界標だ。北区の区章は、昭和27年(1952年)に定められ、「北」の字を図案化して、円形に翼形を付し、力強くダイナミックで躍動する北区の将来を表徴している。

 

 この北区境界標はコミュニケーションマークがついている。

北区境界標③

 平成8年(1996年)に制定され、「さくら」の花びらで北区のイニシャル「K」をデザインしたもので、「花いっぱいの北区」をイメージしている。

 

 ここは滝野川7丁目である。

滝野川7丁目

 昭和22年(1947年)に北区はスタートした。それ以前は王子区滝野川区に分かれていた。ここは「滝野川」7丁目なので、合併以前は滝野川区だったことがわかる。合併して70年以上経っても、「滝野川」の地名は残っているのだ。

 

 また北区の境界標を見つけたが、この境界標はでかい。

北区境界標④

 

 「風呂 ゆートピア」を見つけた。

風呂 ゆートピア

 「暗渠沿いには銭湯が多い」と小林さんが説明した。

 実は、ここは暗渠で北区と豊島区が分かれているのだ。暗渠の名前は「谷端川」という。

  道路を挟み、池袋のある豊島区側には「TOP上池袋」という名前のマンションが建ち、北区側には「ティエラ滝野川」という名前のマンションが建っている。

「TOP上池袋」

「ティエラ滝野川

 この北区境界標は金属で北区章が中央に刻まれている。

北区境界標⑤

 横断歩道を渡り、今度は豊島区側を歩いてみる。

 大きな「境界 TOSHIMA」という境界標がある。

豊島区境界標②

 小さい豊島区の境界標もあった。

豊島区境界標③

 トキハソースの工場の前に、ソースの自販機がある。

 トキハソースは「野菜のうまみをまるごと生かした非加熱製法」、「伯方の塩、沖縄キビ砂糖などのこだわりの原材料」、「ウスター、中濃、濃厚の3タイプの生ソース」、「長めの賞味期限」がウリである。私は自炊をしないため持て余すと思い買わなかったが、買っている参加者もいた。

 トキハソースの本社前には瀧野川やきそばのポスターが貼ってあった。

 瀧野川やきそばとは、ソース味のきんぴらごぼうをトッピングしたやきそばで、江戸時代、ごぼう・にんじんの栽培が滝野川地域で盛んだったため、きんぴらごぼうとしたようだ。

 

 トキハソースの看板。Peacockなのでクジャクだろうが、これが「臀部に見える」という声が聞こえた気がした。

 都道305号線を渡り、路地を進む。この2軒の白い家の間に北区と豊島区の境界があるようだ。

 

 境界を歩くため、路地を進む。こんな路地、気づかなければ進まないだろう。

 

 都道305号線を北上する。「北区 豊5-4」と書かれた境界標を見つけた。

 この「豊」は豊島区の「豊」だろうか。

 

 「千川上水分配堰碑」があった。

千川上水分配堰碑

 正面に「千川上水分配堰」とあるこの碑は明治15年(1882年)7月に設置された。右側面には上水の水源地、樋口の大きさと利用者、左側面には設置年月日が刻まれ、裏面には明治42年(1909年)3月として、樋口の大きさと利用者、堰幅の長さ、千川上水公園内にあった溜池の水面の高さが刻まれている。この碑を設置した理由としては、千川上水の水利権を明確化し、互いに取水量を遵守するためである。

 千川上水とは、元禄9年(1696年)に玉川上水から分水された上水で、この碑の左側の道路が今は暗渠となった水路である。

 千川上水の暗渠上には、千川上水の紋章つきのマンホールがある。

 当たり前だが、千川上水の紋章つきマンホールは千川上水上にしかないので、レアである。

 千川上水分配堰碑の道路向かい側、千川上水公園には、千川上水調節池跡がある。

 千川上水はここにつくられた溜池で、砂やごみなどを沈殿させた後、木樋や竹樋の暗渠となって江戸市中へ給水された。現在も、公園内に駒込六義園方面への送水に使用していたバルブが残っている。

バルブ

 ここには千川上水沈殿池がある。

千川上水沈殿池

 千川上水が上水としての利用が終わった後も、六義園に水路を引くために作られた。現在は、千川上水沈殿池は東京都東部公園緑地事務所が管理していて、利用されていない。

 公園には制水弁があった。右から左に文字が書かれていることや、「辨」が旧字体であることからして、古い制水弁だと思われる。

辨水制

 公園の入口には、千川上水を落とすための枡がある。

 公園には、豊島区の公共基準点もある。

豊島区基準点

 この中心に描かれているのは豊島区章。外輪に12弁の菊花、内輪には東京市の紋章の六方に伸びゆく亀甲模様を配し、そのなかに「豊」の字をあしらったもので、昭和57年(1982年)に制定された。

 公園では、ネコがお昼寝していた。

2.中山道とさざえ堂

 掘割交差点を右折すると、庚申塚商店街に入る。ここは旧中山道だ。

 旧中山道五街道の1つで、江戸の日本橋から(現在の都道府県で)埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県滋賀県を通過して京都の三条大橋に続く道である。

 「中山道の種子(たね)屋」を見つけた。

中山道の種子屋

 種子屋とは、農作物の種子を生産し、販売する商店のことである。江戸時代の半ば以降、このあたりに種子屋が集まるようになったようだ。明治・大正期には、種子屋は郊外の農家に採種を委託して経営規模を拡大する一方、鉄道や郵便などで全国から優良な種子を集めて販売する卸売業者となる。大正5年(1916年)には東京種子同業組合が発足し、江戸東京野菜のブランド化を図った。

 種子屋の奥には、さざえ堂がある。

さざえ堂

 さざえ堂は、大正大学構内に建築され、大乗仏教精神に基づく建学の理念「智慧と慈悲の実践」を具象化した仏教文化施設である。本尊は聖観自在菩薩(しょうかんじざいぼさつ)。ちなみに中は撮影禁止のため写真はないが、頂上まで登っても展望は望めない。

3.都電荒川線

 西巣鴨駅でトイレ休憩となった。トイレから帰ってくると、豊島区のカントリーサインを見つけた。

 

 朝はパンケーキのモーニングセットしか食べておらず、お腹が空いていたので近くのコンビニでピザまんを食べながら参加者が集まるのを待った。

 

 ファミリーマート西巣鴨店の裏には、このような通行禁止看板がある。

 「終日自転車および歩行者専用道路 『北区』」

 「車両通行禁止 『豊島区』」

 ちゃんと北区側に北区の看板が、豊島区側に豊島区の看板がある。

 

 首都高の下に、豊島区の自転車保管場所があった。

 豊島区内に違法駐車された自転車はここに回収される。小林さん曰く、違法駐車の自転車保管場所は、市町村の端にあることが多いらしい。

 「池袋で自転車停めたら回収されちゃって、こんなところまで取りに行くのは嫌だよね~」と一緒に歩いていた友人が呟いた。

 「滝野川浴場」の入口が見えたが、トラックが停まっていて非常に入りにくい。

 GoogleMapで調べてみたらこの入口ではなく、ここの裏の入口から入るのが正解らしい。

 さっき豊島区のカントリーサインを発見したが、今度は北区のカントリーサインを発見した。

 滝野川三丁目交差点で東に進み、西ヶ原四丁目駅方面へ向かう。ここから少しの間、都電荒川線沿いを歩く。

 早速、「東京都交通局」の境界標を見つけた。

東京都交通局

 都電荒川線沿いを進み、路地に入ると豊島区と北区の境界を見つける。アスファルトに境界を見出せるほか、豊島区の境界標と北区の多角点がある。

豊島区境界標④

北区多角点

 都電荒川線沿いに戻る。これは東京市電氣局の境界標だと小林さんが解説していた。

 「これ、以前見た東京市電氣局の境界標のほうが保存状態良いよね」と友人が言った。

 以前見に行った東京市電氣局の境界標はこれ。新宿にある。確かにこちらのほうが保存状態がよい。

 

 歩いていたら、都電荒川線が走ってきた。

 

 古いレールで作った柵があった。

 

 都電荒川線沿いに、妙行寺がある。

妙行寺

 妙行寺には、四代鶴屋南北の「東海道四谷怪談」で有名なお岩の墓や、赤穂浪士事件の原因をつくった浅野長矩(ながのり)の夫人瑶泉院(ようぜんいん)の供養碑、うなぎ供養塔・魚がし供養塔などがある。

4.西ヶ原みんなの公園

 妙行寺から東へ進む。ここは豊島区西巣鴨4丁目の住居表示版と北区西ヶ原4丁目の住居表示版を同時に見ることができる(北区のほうは木に隠れてしまっているが)。

 

 ここは北区の公共基準点と豊島区の境界標が近くにあり、境界を感じることができる。

 

 「市町村境界」とだけ書かれている境界標。これは珍しい。

 

 北区の貯水槽を見つけた。これは北区のコミュニケーションマーク付きだ。

 

 北区立西部つどい広場には井戸があるが、飲用水ではないようだ。

 

 筆界(ひっかい)基準という珍しい境界標。

筆界基準

 筆界とは、土地が登記された際にその土地の範囲を区画するものとして定められた線である。余談だが、この筆界を使う仕事を今、本業でしているのだが、これを調べるまで「ふでかい」と読んでいた(上司もそう読んでいたので、気がつかなかった)。地味に恥ずかしい。

 

 これはいい隘路。

 

 この黄色いプラスチックの破片、以前は黄色いプラスチックが境界標として使われていた名残りのようだ。耐久性に問題があって廃止されたのだろうか。

 

 「区」と書かれた境界標。

 

 西ヶ原みんなの公園でトイレ休憩となった。

西ヶ原みんなの公園

 ここは、明治32年(1899年)に海軍の火薬製造所となった。いつ廃止されたかは不明だが、「今昔マップ」では昭和5年(1930年)の地形図に「火薬製造所」の表記が見られる。

図の赤線が現在の「西ヶ原みんなの公園」

 昭和19年(1944年)から平成12年(2000年)までは東京外国語大学西ヶ原キャンパスが設置されていた。平成13年(2001年)の地形図には「東京外国語大学」と書かれている。

図の赤線が現在の「西ヶ原みんなの公園」

 平成22年(2010年)に「西ヶ原みんなの公園」として開園した。

 

 西ヶ原みんなの公園をあとにして、しばらく区境を進むと、豊島区側に「染井銀座商店街」、北区側に「西ヶ原商店街」が見える。商店街の運営上、区で商店街が分かれることはよくあることのようだ。

染井銀座商店街

西ヶ原商店街

 「豊↑区」という豊島区の境界標。

豊島区境界標⑤

 鉄道路線沿いでは国鉄が設置した境界標を見つけることがままあるが、鉄道路線沿いでもない場所で国鉄の境界標を3つ見つけた。今昔マップを調べても手掛かりがなく、なぜここに設置されたのかわからない(国鉄関連施設があったとか…?)

 

 「下水道局」の境界標を見つけた。珍しいものらしい。

5.妙義神社

 ひたすら豊島区と北区の区境をトレースする。途中また染井銀座商店街を通った。

 

 ここは壁を塗り固めるときにペットボトルを使ったのだろうか。

 

 めちゃくちゃ細い道を通る。

 

 この「東」の境界標は何を意味しているのだろう…東京都?東京府東京市

 

 この仕切弁は多すぎると思う。

 

 北区の境界標に↑がついている。これは珍しい。

 

 妙義神社に立ち寄る。

妙義神社

 妙義神社は白鳥社、あるいは戦勝(かちいくさ)の宮とも呼ばれ、特に太田道灌(おおたどうかん)が文明4年(1472年)、宿敵豊島氏がこもる平塚城を攻めるにあたり、戦勝祈願したことで知られる。境内には本殿左側奥に庚申供養碑や稲荷明神・天満宮・弁財天三祠の遷宮標示の碑などがある。

 境内には道灌霊社がある。

道灌霊社

 「江古田原 沼袋の戦い」初戦での厳しい戦いの後、太田道灌は夜道で迷ってしまう。そのとき、目の前に現れた黒猫が手招きするので導かれるようについていったところ、無事に逃げ延び、体勢を立て直すとその後の戦いで見事に勝利を収めた。

 このような縁起から、狛猫が建立された。狛猫とは、珍しい。

 

 猫の足跡もあり、とてもかわいい。

6.駒込

 都道455線に出て、北上する。一時期多く出店したが大量閉店で今では珍しい「いきなり!ステーキ」があるのを見つけた。「いきなり!ステーキ」、いつか食べに行きたいと思うし家から徒歩圏内に残っている店があるのだが、行けていない。

いきなり!ステーキ

 霜降橋交差点で右折してそのまま進むと霜降銀座商店街に入る。

霜降銀座商店街

 霜降銀座商店街は谷田川の暗渠の上に作られている。昭和6年(1931年)に谷田川を暗渠にする工事がはじまり、昭和15年(1940年)に暗渠が完了した。昭和31年(1956年)に霜降銀座栄会が設立され、商店街としてスタートしたようだ。

 

 駒込さつき通り商店街に入る。

駒込さつき通り商店街

 この商店街の名前は駒込駅ホーム両サイドに群生する「さつき」から取ったという。昔ながらの個人店舗とチェーン店舗が混在して、160mの通りに35店舗ほどが立ち並んでいる。この商店街は北区と豊島区にまたがっている、珍しい商店街だ。

 駒込駅のガードをくぐると、アザレア通りに出る。

アザレア通り

 駒込駅東口から南に向かって延びる「アザレア通り商店会」は、駒込駅ツツジにちなんで、西洋ツツジの別名を持つアザレアの名を冠している。320mの通りに90店ほどが並んでいる。

  民家の間に走る豊島区と北区の境界を見ながら、豊島区と北区・文京区のトリプルジャンクションを見る。

 埼玉・群馬・栃木の3県境は観光地になっているが、豊島・北・文京の3区境には特に何もない。

 ここから駒込駅に戻るが、ただ戻るだけでは面白くないので、文京区と豊島区の境界沿いを歩いて戻る。

 文京区の境界標を見つけた。

文京区境界標

 駒込駅まで歩く途中に、マンションがあった。

 「ここ、あんまり大きな声では言えないのですが、沼を埋め立ててその上にマンション建ててるので、地盤あまりよくないんですよ」と聞いたので、今昔マップを開いてみたら、なるほど、大正8年(1919年)の地形図にはここに沼っぽいものが描かれている。

赤線が現在のマンションのある位置

 この歩道の微妙なズレに、文京区と豊島区の境界が走っているらしい。

 

 民家の間に走る文京区と豊島区の境界を見ながら歩いていたら、駒込駅に着いた。

駒込駅

 ここで懇親会に参加しない人は解散となり、懇親会に参加する人は懇親会に向かった。もちろん私は、懇親会参加組だ。

 やはり歩いた後のビールは美味しい。

 イベント開始が12時半、懇親会開始が17時で、なんと懇親会は21時半まで続いた。この後二次会に行く人もいたが、次の日は会社だったので一次会のみの参加とした。

 豊島区と北区の境界を歩くという、いつでもできるかもしれないがなかなかやらないことをやって楽しかったので、境界協会のイベントがまたあればぜひ行きたいと思う。

今回の地図

【参考文献・参考サイト】

林英夫(1977)「豊島区の歴史」 名著出版

北区 東京都北区紋章

https://www.city.kita.tokyo.jp/somu/kuse/gaiyo/monsho.html

北区 大正時代から現代までの年表

https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/ayumi/ayumi/nenpyo-05.html

わたしの便利帳 北区のプロフィール

https://www.city.kita.tokyo.jp/koho/kuse/koho/benricho/documents/1profile.pdf

トキハソース 生ソース

https://tokiwa-sauce.co.jp/productnama/

豊島区 豊島区について

https://www.city.toshima.lg.jp/012/kuse/gaiyo/profile/000781.html

すがも鴨台観音堂

https://ohdai-sazaedo.jp/

法務省 筆界特定制度

https://www.moj.go.jp/MINJI/minji104.html

霜降銀座商店街 商店街について

http://www.shimofuri-ginza.com/about/

駒込座商店街振興組合 商店街について

https://komagome-satsuki.com/about

すてきな街を、見に行こう。アザレア通り商店会

https://town.mec-h.com/mh-komagome/39