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うさぎの気まぐれまちあるき 都内のちょっと変わったお地蔵さん巡りツアー

 2022年4月3日は「地図ラーの会」のイベント、「都内のちょっと変わったお地蔵さん巡りツアー」に参加した。変わったお地蔵さんといえば東海道を歩く 7.藤沢本町駅平塚駅 に登場した「おしゃれ地蔵」を連想するが、都内にも変わったお地蔵さんがいろいろあるらしい。信仰の奥深い世界に、今回はご招待する。

↓おしゃれ地蔵についてはこちらを参照

octoberabbit.hatenablog.com

1.犬塩地蔵

 錦糸町駅を出て、錦糸公園に向かう。

 大正12年(1923年)に発生した関東大震災後の帝都復興事業で整備された公園のひとつが錦糸公園である。以前は旧陸軍の糧秣廠(りょうまつしょう)倉庫敷地だったが、約3年の工事期間を経て昭和3年(1932年)7月に錦糸公園が開園された。

 開園以来第二次世界大戦の被災やその後の改変によって開園当時のものはほとんど残っていないものの、この門柱は奇跡的に残ったようだ。

 

 錦糸公園を出たら亀戸天神社に向かう。

亀戸天神社

 祭神は天満大神(菅原道真)と天菩日命(菅原家の祖神)である。正保3年(1646年)創建、古くは「亀戸宰府天満宮」と称されていたが昭和11年(1936年)に亀戸天神社と正称した。この神社の名称としてはほかにも、亀戸天満宮、本所宰府天満宮、東太宰府天満宮、本所宰府天神、亀戸神社などと称されているが、それらの名称はあまり人々には知られていない。また、天神様につきものの梅はもちろん、亀戸天神社では藤の花が江戸時代から名物である。

 

 亀戸天神社の境内に犬塩地蔵がある。

犬塩地蔵

 犬塩地蔵は犬の形をしたお地蔵さんに塩がかけられている。一説によると、台風などで風が強いとき、商人たちが隅田川から堅川に舟をつないで風待ちをし、その際暇を持て余すので亀戸天神に詣でたついでに犬地蔵に塩をお供えしたらしい。ただ、確証のない話なので亀戸天神社の「境内のご案内」には犬塩地蔵は紹介されていない。

2.カンカン地蔵・リストラ地蔵

 亀戸天神社を出たら浅草寺に向かう。途中に「東京帝国大学柳島セツルメント跡」があった。

東京帝国大学柳島セツルメント跡

 東京帝国大学セツルメントは大正12年(1923年)に設立され、成人教育や市民図書などの事業を行っていた。当時は小学校を卒業するとすぐ働きに出るのが通例で、そうした人々を対象に生活面の援助をしながら自立した市民としての知識を得させようという考え方はほかの慈善事業とは一線を画していた。国家総動員法が成立した昭和13年(1938年)、東京帝国大学セツルメントは解散した。

 

 このあたりはスカイツリーが近く、スカイツリーと記念撮影ができる「Reflect scape」というモニュメントがある。

Reflect scape

 説明板には「「東京スカイツリーを見るということは、東京スカイツリーの方向を見上げること」そんなお決まりのスタイルを変えてみよう」と書かれている。

 

 小さな石碑を見つける。「御巡幸記念」と刻まれている。

御巡幸記念

 天皇陛下が巡幸したときにでも建てられたのだろうか。形状的に道路元標かと思ってしまった。

道路元標の例(宮崎市道路元標)

 ビールの泡を乗せた(違うものに見えがちだが気のせい)、アサヒビール本社の北側には吾妻橋があり、そこにあづま地蔵尊がある。

ビールの泡…らしいよ?

あづま地蔵尊

 普通のお地蔵さんだが、関東大震災の犠牲者を供養するために建てられた。

 

 ここで結婚式の行列を見かけた。「うちの娘は結婚式が大好きで、また結婚式やりたいって言うのよ」という年配の参加者の方と、「まだ結婚式は先ですね」という私が会話する。世代を超えた交流ができるのもイベントの魅力である。

 

 すみだリバーウォークの北詰に山の宿の渡しの碑がある。

山の宿の渡し

 昔は隅田川に橋が架けられず、対岸に渡りたければ渡船に乗る必要があったらしい。渡しの名前はこの付近の町名、「山ノ宿町」からとられたようだ。

 

浅草寺

 浅草寺推古天皇36年(628年)に創建された。この年の3月18日、漁師の檜前浜成(ひのくまはまなり)、檜前武成(ひのくまたけなり)兄弟が宮戸川(隅田川の古称)で投網をしていると、金の観世音菩薩像が網にかかり、兄弟の主人土師真中知(はじのまひとなかとも)と相談し、中知邸にその仏像を奉安したのが始まりである。この3人は浅草寺本尊拾得の功で神にまつられ、浅草寺の祭神「三神様」となった。江戸時代の浅草寺は、浅草の観音様の名で親しまれ、江戸庶民の信仰を集め、参詣人でにぎわった。明治4年(1871年)、浅草寺境内地は新政府に没収され、同6年(1873年)、太政官布達にもとづき、その一部が公園地に指定された。

 浅草寺の境内にはいろいろなものがあるが、そのなかのひとつがカンカン地蔵である。

カンカン地蔵

 このお地蔵さんは原型をほとんど残していない。それは、お参りする人が小石でお地蔵さんを叩いたため、このようになったという。そのとき「カンカン」という音が鳴るので「カンカン地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。

 

 ここで昼食休憩となった。私は境内のたこやき屋でたこやきを買って食べた。

 できたてだったので少し熱かったが、美味しかった。

 

 浅草寺の裏、伝法院に入る。鼠小僧が天井にいる「龍巳」の向かい側が入口だ。

鼠小僧発見!

 伝法院は浅草寺の本坊であり、大玄関などの建築と、江戸時代初期の庭園からなる一画である。

 元来は浅草寺住職の坊号で、元禄元年(1688年)に住職となった宣存僧正がはじめて伝法院を号した。庭園は国の名勝に、建物の一部が国の重要文化財に指定されたが、一般公開はされておらず、不定期で特別公開をやっている。庭園は寛永年間に小堀遠州が造ったと伝わり、大きな池を巡る池泉回遊式の庭園である。

 伝法院の一画に、加頭地蔵尊がある。

加頭地蔵尊

 加頭地蔵尊は破損した頭部をつないであるためこの名がついた。首がつながるとの俗信からサラリーマンらの信奉もある。これが「リストラ地蔵」だ。少し前に会社を辞めさせられた友人が「もう少し早くにお参りしていればよかったかな」とつぶやいたのが聞こえた。

3.たこ八郎地蔵

 たこ八郎地蔵がある法昌寺に向かう。新仲見世通りのアーケードを通る。

仲見世通り

 新仲見世通りは他の商店街と比べて新しく、昭和5年(1934年)に浅草松屋が開店し、そこから店舗が増え、商店街になった。今のアーケードが完成したのは平成23年(2011年)、結構新しいアーケードである。

 

 東本願寺の境内を通る。

東本願寺

 東本願寺天正19年(1591年)に徳川家康から現在の千代田区神田淡路町内に土地を給され、京都東本願寺の始祖教如上人が堂宇を建立し、江戸御坊光瑞寺と号したのが始まりである。現在地に移ったのは明暦3年(1657年)の江戸大火後である。現在の本堂は東京大空襲後に再建したもので、昭和35年(1964年)に建てられた。

 

 かっぱ橋道具街のアーケードを通る。

かっぱ橋道具街

 かっぱ橋の「かっぱ」の由来は天気の良い日に内職で作った雨合羽を干していたからその名がついたとも、合羽川太郎の掘削工事を手伝った隅田川の河童からとったとも言われている。現在では食器具などを扱う問屋街になっている。

 食器などを取り扱う「ニイミ」のジャンボコック像が目を引く。

ニイミのジャンボコック像

 法昌寺に行く前に祝言寺に寄り道する。

祝言

 祝言寺は曹洞宗の寺院で、境内に鍋かぶり地蔵がある。

鍋かぶり地蔵

 鍋かぶり地蔵は地震があったときに偶然上から落ちてきた鍋が頭の上にかぶさって難を逃れたことに由来している。そしてカンカン地蔵同様、原型をとどめていないがなぜ原型をとどめていないかはわからない。

 

 曹源寺にも寄り道する。ここは「かっぱ寺」とも言われている。

曹源寺

 伝承によると文化年間(1804~1817年)にここの住人で雨合羽商の合羽川太郎が私財を投じて排水のための掘削工事を行っていたが、このとき川太郎に助けられた隅田川の河童たちが工事を手伝い、掘削工事は完成、この河童を見ると商売繁盛したという。その合羽川太郎の墓が曹源寺にあるといい、これが「かっぱ寺」の由来である。境内には愛らしいかっぱ像もあるが、「かっぱのぎーちゃん」というよくわからないオブジェもあった。

かっぱのぎーちゃん

 今度こそ法昌寺に向かう。

法昌寺

 法昌寺は慶安元年(1648年)に大本山光長寺の日照上人が開いた法華本門の道場である。法昌寺たこ八郎地蔵がある。たこ八郎地蔵は、実在したコメディアン「たこ八郎」にちなんだお地蔵さんである。

たこ八郎地蔵

 たこ八郎はボクサー「斎藤清作」としてデビューし、昭和37年(1962年)に第13代日本フライ級チャンピオンになった。ボクサー引退後は同郷のコメディアン、由利徹に弟子入りし、「たこ八郎」としてテレビで活躍した。昭和60年(1985年)に海水浴中に急死、その後、たこ八郎のお墓のある宮城県に行かずとも東京でお参りできる場所があればと発起人たちがたこ八郎地蔵を建立した。たこ八郎のトレードマークである前髪や欠けた耳もお地蔵さんで再現されており、ボクサーだったことにちなみボクシンググローブの石像もある。そして体にはたこ八郎座右の銘、「めいわくかけてありがとう」と刻まれている。

ボクシンググローブの石像

 ほうほう、と見ていると「君、たこ八郎知らないでしょう」と後ろから声をかけられた。先ほど結婚式の話をした年配の参加者の方だった。私が生まれる前に亡くなった方なので、知っているわけがない。

 

 この後は鶯谷駅に行って、このイベントは解散となった。

 

【おまけ】

 この後は神田駅の喫茶店ルノワールで二次会をした。固めのプリンが美味しかった。

 さらにこの後は友人とこの会で知り合った方と一緒に神保町で書店巡りをしてから、ボンディで夕食を食べた。

 ボンディは少し値段が張るが、やはり美味しい。誰かと食べると余計に美味しく感じた。

 この後は友人を池袋駅まで送ってから帰路についた。

今回の地図

歩いた日:2022年4月3日

【参考文献・参考サイト】

小森隆吉(1978)「台東区の歴史」名著出版

高梨輝憲(1978)「江東区の歴史」名著出版

黒田涼(2012)「江戸の神社・お寺を歩く[城東編]」祥伝社新書

地図ラーの会(2022)「東京都内のちょっと変わったお地蔵さま巡り」

亀戸天神社 御祭神・由緒

http://kameidotenjin.or.jp/about/

浅草新仲見世通り ごあいさつ 

https://www.asakusa-shinnaka.com/history_frame/

かっぱ橋道具街 かっぱ橋の歴史

https://www.kappabashi.or.jp/history/

(2022年5月5日最終閲覧)