先月、江戸三十三観音を回りきった。
まだ、東京を歩いてみたい。
そこで始めたのが「関東三十六不動」。
関東三十六不動とは、神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36ヶ所の不動明王霊場寺院の総称で、昭和62年(1987年)に開創された。
私はまず、納経帳をいただくのを兼ね、第1番札所の大山寺に向かった。
1.大山寺
私が伊勢原駅に降り立ったのは12時半過ぎで、ここからバスに乗って大山寺に向かう。
バスに揺られて25分ほどで、大山のふもとに到着する。ワクワクしてくる。
バス停の終点からケーブルカーの駅までは「こま参道」というお土産屋さんを通る必要がある。
「こま参道」という名前の由来は、大山の名物「大山こま」が由来だ。
大山詣りが盛んになる江戸時代中期には、御師が配札時に講にこまを配り、大山への参拝者も土産物としてこまを買った。
こまがよく回ることは、金回りが良くなるとされ、家内安全、商売繁盛を呼び込む縁起物として大山こまは人気となった。
大山こまの特徴としては、以下の通りである。
①材料は主に大山のミズキを用いる。
②芯はモミジやカシで、あとから差し込む。
③芯棒は上が細く、中が太い。
④形は全体に丸みを帯び、色は白木に紅、藍、紫で塗り分けられる。
大山こまは現代まで引き継がれた大山詣りに欠かせない土産物であり、こまの製作技術は伊勢原市指定無形民俗文化財に指定されている。
流石にこまを買っても…と思ったので買わなかったが、こま参道の軒先にはこまが並んでいた。
こま参道を進むと茶湯寺がある。
茶湯寺の本尊は木造釈迦涅槃像である。流石に写真を撮るのは憚られたが、はっきりとお釈迦様がゴロンと寝転がっているのは確認できた。
釈迦が涅槃に入った(亡くなった)ときの様子を表した像で、彫刻としての涅槃像は日本では珍しいものらしい。確かに涅槃像はなかなか見ない気がする。ちなみに江戸時代に作られたもので、伊勢原市の重要文化財に指定されている。
それにしてもこま参道、風情のある商店街だな。
こま参道には「○○講」と書かれた石碑等をよく見る。
「講」とは結社または結社による行事・会合のことで、ここは「大山講」が盛んだった。要は大山講は大山を信仰する人が集まり、参拝する組織のことである。関東では大山講が多く造られ、それにより多くの人が大山に参拝した。
いよいよケーブルカー前に到着した。
ケーブルカーは大山ケーブル駅から阿夫利神社まで往復で1,120円。大山寺で途中下車できる。といっても今日の目的地は大山寺なのだが。
ケーブルカーに乗って、いざ出発!
ケーブルカーに乗って2分で、大山寺駅に到着する。
わずかに紅葉していたが、見頃には程遠い。
「千と千尋の神隠し」に出てきそう?
大山寺駅から歩いて3分ほどで、大山寺に到着する。
大山寺は、成田市の成田不動、日野市の高幡不動とともに関東三大不動のひとつとして有名である。
「大山寺縁起」によれば、大山寺は東大寺の別当・良弁が天平勝宝7年(755年)に開創し、聖武天皇が国家の安泰を祈願した勅願寺であると伝える。
創建後、大地震に伴う火災で焼失したが、元慶8年(884年)、安然により再興されたが、その後再び荒廃したという。
鎌倉期の文永年間(1264〜1275年)、鎌倉大楽寺の願行上人は、大山寺の再興を発願し、まず試みに不動明王小像をつくり、ついで不動明王大像を鋳造して大山寺に安置した。
この2体の不動明王像はいずれも鉄鋳で、試作の不動明王小像は「試みの不動」とよばれ、大楽寺に安置された。
大像の鉄造不動明王像は、現在の大山寺の本尊で、脇侍の二童子像とともに国の重要文化財の指定をうけている。
鎌倉時代以降も足利尊氏・鎌倉公方・後北条氏の尊崇をうけ、さらに江戸幕府から157石の御朱印地を寄進された。
江戸中期以降の大山詣の最盛期には、年間の参詣者10万、16か国からの信仰をうけ、この隆盛のさまは歌川広重や葛飾北斎の浮世絵でも取り上げられた。
明治にはいると、神仏分離令により不動堂は取り払われ、跡には阿夫利神社下社がたてられた。
現在の不動堂は広く関東一円の浄財をつのり、現在地に明治18年(1885年)に再建されたもので、代々大山寺を造営してきた工匠、手中明王太郎が伊勢原市内に残したもっとも代表的な建物である。
第一番札所なので納経帳を購入、御朱印つきで2,000円だった。納経帳は赤、緑、茶色から選べる。
関東三十六不動の御朱印は御本尊と童子の御影(おすがた)がついてくるのも特徴。御朱印の裏に貼るスペースがあり、帰宅後のりで貼った。
また、「関東三十六不動霊場ガイドブック」も購入。こちらは1,300円。全ての札所についての解説が載っており、ブログ化するときに活用したい。
また、ほとんどの人は気がついてなかったが(すごくもったいない)、秘仏の不動尊が開帳されていた。
拝観料は400円、ここの料金所には誰もいないので黙って入ってもバレなそうだが、バチが当たっても嫌なので400円賽銭箱に納めて入る。
不動尊は撮影禁止だが、不動尊の目は玉眼なのか、キラキラしていてとても印象に残った。
4,000円近くも使ってしまったのでやらなかったが、300円でかわらけ投げもできる。
そういえば、もうこんな時期ですね。除夜の鐘。
このド派手なモノ、てっきり燈篭かと思っていたが、あとで調べたら宝篋印塔らしい。宝篋印塔は石でできているイメージがあるのでこれは珍しい。
帰り道、野生のシカと目が合った。神の使い?
2.大山阿夫利神社
大山寺駅からまたケーブルカーに乗り、阿夫利神社駅で下車して歩くと阿夫利神社に着く。それにしても「ルーメソ」とは?
ここでは食べなかったが、この先に美味しそうな匂いがしたので、つい食べてしまった。AFURIの柚子塩ルーメソ…ではなく柚子塩ラーメン。柚子が効いてて美味しかった。
柚子塩ラーメンを食べ終わり、阿夫利神社へ。阿夫利神社から見える景色は絶景!
絶景を堪能したところで、阿夫利神社に参拝する。
ここは阿夫利神社下社で、阿夫利神社本社はここから90〜120分ほど急坂をのぼった大山の山頂(標高1,252m)にあり、石尊大権現ともよばれる。
阿夫利神社の祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ)、雷神(いかずちのかみ)、高寵神(たかおのかみ)の3神が合祀され、さらに海人の守り神とされる鳥石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)も山頂の石尊を依代としてまつられている。
阿夫利神社は「延喜式」式内社・相模国13社のひとつに属するから、創建は10世紀前半以前であることは確実である。
参拝して、御朱印をいただく。阿夫利神社本社に行くことも一度は検討したが、初心者が1人で登山すると遭難の危険性がある、とネットに書いてあったのでやめておいた。
阿夫利神社前で「もみじ汁」と書かれた幟が建てられ、何やら温かそうな鍋から湯気が出ている。このもみじ汁は豚汁らしく、つい買ってしまった。豆腐がぷるぷるで美味しかった(大山では豆腐が名産品である)。
阿夫利神社の隣にあるカフェ「石尊」では抹茶ティラミスが有名らしく、食べてみたいと覗いてみたが人気すぎて受付を終了していた。残念だが、また大山に来る機会があればぜひ食べてみたいと思う。
ここからケーブルカーに乗って帰るのだが、秋の行楽シーズンということもあり、ケーブルカーに乗るのに30分待った。私は連れがいないこともあり、1人読書してケーブルカーを待った。
ケーブルカーに乗って下山した後、大山ケーブル駅に売っていたお菓子に目が止まり、つい買ってしまった。朝食に何日かに分けて食べたが、とても美味しいショコラとバームクーヘンだった。
こま参道を降り、バス停に着くとバスは着いていたものの座席は全て埋まっていて、仕方なく立って25分ほどバスに揺られて伊勢原駅に着いた。
3.弘法の里湯
「温泉」とついておきながら駅前に温泉がない駅は全国にいくつかあるが、鶴巻温泉駅は優秀なので駅前に日帰り温泉がある。弘法の里湯だ。
弘法の里湯はカルシウムナトリウム塩化物温泉で、かすかに塩の味がする。
利用者は少なかったがサウナもあった。女湯はスチームサウナ(男湯はドライサウナ)で水風呂はなし。それでも外気浴できる椅子はあり、ゆるゆるながら登山した後に入る温泉は気持ちがよかった。
弘法の里湯で夕食を食べようかと思ったが、残念なことにラストオーダーを過ぎていた。夕食をどうするかな、と考えていたら「秦野ジビエ」というポスターが目に入った。
秦野は自然が豊かで野生のシカなども獲れることから、「ジビエのまち」として売り出しているらしい。そういえば、私も仕事で秦野市の鳥獣被害についての地図を数年前作ったことがある。
この近くでは「白髭食堂」というお店でジビエを取り扱っているらしい。行ってみよう。
白髭食堂で頼んだのはもちろんジビエメニュー、「ジビエキーマカレー」。
ジビエキーマカレーに使われている肉は鹿肉、カレーに乗せられているメンチカツの肉は猪肉が使われているらしい。
食べてみた。黙ってこのカレーを出されたら「ビーフカレーに豚肉のメンチカツが乗っているな」としか思わないくらいに獣臭さがない。とても美味しいカレーだったので機会があればまた食べに行きたい。
大山寺では立派な御本尊が見られたのに多くの人が見ていなかったことをもったいなく感じた。阿夫利神社からの景色は絶景だったが、もし登山ができる友人がいれば今度は本社に行ってみたいと思う。ゆるい登山ながらも、登山の後の温泉はとても気持ちがよかった。
私の知らない神奈川が、まだまだありそうだ。
歩いた日:2024年11月9日
【参考文献】
神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会(2011) 「神奈川県の歴史散歩」 山川出版社