10月うさぎの部屋

10月うさぎがいろいろ語る部屋

うさぎの気まぐれまちあるき 川越編

 関西から友人がやってくることになったので、観光案内をお願いされた。「どこか行きたいところはありますか?」と聞いたところ、「蓮馨寺、旧山崎家別邸、大正浪漫夢通り、一番街通り、時の鐘、川越蔵造り資料館、川越まつり会館、大沢家住宅、菓子屋横丁、川越城跡、川越氷川神社仙波東照宮、中院、喜多院」と答えられた。「ほぼ全部じゃないか」と内心ツッコミを入れた。友人は2日にわけて川越をめぐるようで、私が仕事の日に川越城、川越氷川神社仙波東照宮、中院、喜多院は行ったようなので、それ以外を一緒にめぐった。今回はそのことについて語りたいと思う。

1.川越熊野神社

 川越駅に集合し、クレアモールを北上する。

クレアモール

 平日、休日ともに商店街の通行量、埼玉県1位のクレアモールといえど、まだ朝の9時だったので人通りは多くない。ちなみにクレアモールの名前の由来は英単語のCreate(創造する)とMall(遊歩道)である。

 

 クレアモールをひたすら北上していくと、大正浪漫夢通りに着く。大正浪漫夢通りの入口にある川越熊野神社に寄る。

川越熊野神社

 川越熊野神社は、室町時代紀州熊野本宮大社から分祀された開運・縁結びの神社である。川越熊野神社の祭神は熊野大神で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉册命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)の4柱が祀られている。

 そして境内には足踏み健康ロードがある。全国各地の神社を巡っていても、足つぼがある神社はここ以外に知らない。

足踏み健康ロード

2.蓮馨寺

 熊野神社の裏から県道229号線に出る。少し進むと蓮馨寺がある。

蓮馨寺

 蓮馨寺は室町時代に蓮馨大姉が安らぎの場を民衆にもたらすべく創建した浄土宗の寺院である。

 蓮馨寺といえば、おびんづる様である。

おびんづる様

 おびんづる様とは、病にかかっているところをなでると病気が治るとされている仏様である。そういえば、最近見た仏様では跨木撫で観音さまに似ていると思った。跨木撫で観音さまについて詳細はこちらをご覧いただきたい。

octoberabbit.hatenablog.com

3.大正浪漫夢通り

 蓮馨寺の前の道を直進して、大正浪漫夢通りに戻る。大正浪漫夢通りはかつて「銀座商店街」と呼ばれアーケードが取り付けられていたが、アーケードは平成7年(1995年)に撤去された。その後、商店街をあげての大正浪漫の街づくりがスタートした。現在ではテレビや映画の撮影に使われることもある。ちなみに、ここでは一年中鯉のぼりが上がっている。この商店街と鯉のぼりは絶妙にマッチしていると思う。

大正浪漫夢通り

 ここで、少し遅めの朝食をいただく。訪れたのは、シマノコーヒー大正館。

シマノコーヒー大正館

 ハムチーズエッグのヤキサンド(ホットサンド)を注文した。店内はレトロでなかなか趣がある。しばらく待つと、ヤキサンドが出てきた。

ヤキサンド

 ヤキサンドはサクサクしていて美味しかった。

 

 お腹が満たされたところで旧山崎家別館に向かう。大正浪漫通りの角にある川越商工会議所は国指定有形文化財で、武州銀行川越支店として前田健二郎が設計した。この建築は、昭和2年(1927年)に建てられた鉄筋コンクリート造建築だが、ギリシア神殿を想起させる荘重で威厳のあるドリス式オーダーのエンタブラチュアとフルーティング付円柱が用いられている本格的な様式主義の建築である。昭和45年(1970年)に川越商工会議所が譲り受け、現在も使用されている。

川越商工会議所

 旧山崎家別邸に行くまでにも古い建物が並ぶ。そのうちの一つ、原田家住宅は明治27年(1894年)に建築された。

原田家住宅

 巨大な鬼瓦と重厚な観音開扉が目を引く。この鬼瓦は川越市内でも最大規模だそうだ。

4.旧山崎家別邸

 大正浪漫夢通りから右折して、次の交差点を左折すると旧山崎家別邸に到着する。恥ずかしながら、ここの存在は初めて知った。受付を済ませると、ボランティアガイドのおじさんがガイドしてくれた。ガイドがあると理解が一層深まる。

旧山崎家別邸

 旧山崎家別邸は、川越の老舗菓子屋「亀屋」の5代目である山崎嘉七の隠居所として建てられた。旧山崎家別邸の設計を行ったのは保岡勝也で、保岡勝也は旧国立八十五銀行本店なども設計している。この旧山崎家別邸には川越付近に訪れた皇族方が宿泊されることもあり、川越の迎賓館として使用された。建物は洋館部と和館部からなる和洋館並列住宅で、洋館部だけが二階建てで、切妻造フランス瓦風洋瓦葺の屋根に、ドイツ壁と呼ばれる色モルタルの掃付け壁の外壁として和館部と差別化させている。そして薄暗い階段から見えたステンドグラスが美しかった。

5.一番街

 旧山崎家別邸を堪能してから一番街に向かう。この古い建物は旧山吉デパートである。ここも保岡勝也が設計した。

旧山吉デパート

 ここで開店したのが、川越初のデパート、山吉デパートである。ちなみに山吉デパートは丸広百貨店となり、現在クレアモールにある。山吉デパートは現在、保刈歯科医院として利用されているが、鉄筋コンクリート造3階建ての外観は、一番街の街並みで最もモダンで、威厳のある建築といえる。

 

 少し脱線するが、丸広百貨店の屋上には昔、屋上遊園地があった。観覧車やモノレールもある遊園地だったが、令和元年(2019年)9月1日に閉園した。現在、屋上遊園地のあった場所は「エンジョイ広場」になっている。

エンジョイ広場

 少し進むと右手側に埼玉りそな銀行川越支店がある。

埼玉りそな銀行川越支店

 ここは川越に残る洋風建築の代表的な場所で、時の鐘と並ぶ川越のランドマーク的存在である。大正7年(1918年)に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財の指定も受けている。外壁はタイルと石が張られ、外部意匠としては簡素で平滑な外見だが、外壁の窓と窓の間にイスラム風縞模様のバットレスを施して壁面をリズミカルに飾り、正面隅部にルネサンス風ドームを頂いた塔屋が一際目立つ様式主義の建築である。ここも保岡勝也の設計で、ここと山吉デパート、旧山崎家別邸、川越貯蓄銀行(残念ながら取り壊された)で川越4部作と呼ばれている。

 

 このあたりは蔵造りの街並みが残っている。

蔵造りの街並み

 蔵造りは類焼を防ぐための耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものである。蔵造りの建物のうちのひとつ、大澤家住宅は寛政4年(1792年)に呉服太物商、西村半右衛門が建てたもので、川越町の3分の1を焼失した明治26年(1893年)の川越大火の際も焼け残り、川越商人に蔵造りを建てさせるきっかけとなった。蔵造りの街並みは平成11年(1999年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年(2007年)には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定された。

 蔵造りの街並みの通りから一本入ったところに長喜院がある。

長喜院

 長喜院は鎌倉時代後期に創建した寺院である。観光の寺院ではないため、境内は蔵造りの街並みとは違い、ひっそりとしている。私はここに何度か来たことがある。実は母方の菩提寺だからだ。ご先祖様に対して、そっと手を合わせた。

6.時の鐘

 そのまま進んでいくと時の鐘入口交差点があるので、右折するとすぐに時の鐘が見える。

時の鐘

 時の鐘は寛永4年(1627年)から寛永11年(1634年)の間に川越城酒井忠勝が建てたものが最初と言われている。現在建てられているものは明治26年(1893年)に起きた川越大火の翌年に再建されたものである。平成8年(1996年)には「残したい"日本の音風景100選"」に選ばれた。

 時の鐘の下には薬師神社がある。

薬師神社

 薬師神社は以前常蓮寺という寺院だったが、明治維新のときに薬師神社になった。ご本尊は薬師如来で、ご利益は五穀豊穣や病気平癒、特に眼病にご利益があるらしい。そして隣の稲荷神社は出世、開運、合格に著しいご利益があるそうだ。

稲荷神社

「著しいご利益」と書かれていた説明板

 友人が「著しいご利益があるならお参りしよう」と笑っていたので、一緒にお参りした。

 

 時の鐘の近くには景観配慮型スターバックスがある。売っているものは普通のスターバックスと変わらない。

景観配慮型スターバックス

 市民会館入口交差点で左折して、川越市役所方面に向かう。川越市役所前の「手打そば百丈」でかけそばを食べた。

 そこまで見てなかったので写真を撮り忘れてしまったが、ここは看板建築でも有名な場所らしい。昭和7年(1932年)に釣具店として建てられたらしい。もちろん、お蕎麦の味も美味しかった。

7.一番街に戻る

 市役所前交差点を左折、札の辻交差点を左折して蔵造りの街並みに戻る。向かうのは大澤家住宅である。

大澤家住宅

 大澤家住宅は前述したが、川越大火のときに焼け残ったため蔵造りの街並みができるきっかけとなった蔵造りの建物である。なかでは民芸品が売られていた。

 

 少し南に進むと、川越まつり会館がある。

川越まつり会館

 川越まつり会館は川越まつりについて取り上げた博物館で、川越まつりの映像や山車の展示などを見ることができる。

 川越まつりは、慶安元年(1648年)に当時の川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まりである。その後慶安4年(1651年)から華麗な行列が氏子域の町々を巡行し、町衆も随行するようになった。川越まつりは山車が町中を行き交い、出会ったら曳っかわせを行う。そこで囃子の勝負を行うが、勝ち負けはない。この曳っかわせが川越まつりの見どころである。平成29年(2017年)に川越まつりに行ったので、そのときの写真を貼っておく。

 川越まつり会館を見て、川越まつりに来てみないかと友人を誘ったが、この展示を見ただけでお腹いっぱいになったようだ。

8.菓子屋横丁

 札の辻交差点に戻り、左折して菓子屋横丁に向かう。

菓子屋横丁

 菓子屋横丁では、明治の初めから菓子を製造していた。関東大震災で被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていた。現在は20数軒の店舗が連なる。平成13年度(2001年)には「かおり風景100選」に選ばれた。菓子屋横丁の石畳にはガラスブロックが埋め込まれており、これは昔、菓子屋横丁では飴屋が多かったのでその飴をイメージしているらしい。

 菓子屋横丁のなかの1店舗、玉力製菓に寄ってみる。玉力製菓は大正3年(1914年)創業の老舗で、入ると飴が売っているだけでなく飴の試食や飴の製造工程の見学もできる。友人は飴があまり好きではなかったようだがここの飴は美味しかったのと、飴の製造工程の見学は面白かったようだ。

 何か食べようと思ったら、そういえば紫いもソフトクリームをまだ食べていなかったので食べることにした。芋けんぴが刺さっているのが面白い。

紫いもソフトクリーム

 菓匠宇門のいも恋も食べた。

いも恋

 いも恋はさつまいもとつぶあんが入ったお饅頭で、優しい甘さがした。こしあんが苦手な母でもこれなら食べられそうな気がした。

 川越といえば「さつまいも」だが、なぜこうなったのかというと、江戸で焼き芋が流行り、その焼き芋用のさつまいもを供給するにあたり、適地は江戸近郊で舟運が使える場所、となり川越でさつまいもが栽培されるようになった。ほかにも馬加村(千葉県千葉市美浜区幕張)でもさつまいもが育てられたようだが、江戸っ子は川越いもを好み、「本場ものは川越」とした。さつまいもは味はよいが高い「あかづる」と味はあかづるに劣るが安い「あおづる」を作っていたが、あかづるの突然変異の「べにあか」が出現したことにより、「べにあか」に転換された。その後洋菓子の普及による焼き芋人気の低迷や戦時中の多収いもへの転換(質より量がとれるさつまいもで、美味しくない)、ホウレンソウや小松菜などの栽培の普及による危機を迎えるが、川越はさつまいもの生産から加工や販売の町になった。全国でもさつまいもが名物の街は川越くらいなので、全国からさつまいもが好きな人がいっぱい来てくれるのだ。

 私はそこで、小学生時代に給食で出た「小江戸カレー」を思い出した。「小江戸カレー」はじゃがいもの代わりにさつまいもが入ったカレーだった。正直カレーにはさつまいもよりじゃがいものほうが合うと思う、と言ってはいけないのだろう。

9.川越八幡宮

 蔵造りの街並みに戻り、南下していく。本川越駅前でクレアモールに入ったら、朝と違い多くの人が行き交っていた。

 紀伊国屋書店の前で左折し、川越八幡宮へ向かう。

川越八幡宮

 川越八幡宮は第68代後一条天皇の時代の長元3年(1030年)に甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えられている。祭神は第15代天皇応神天皇である。

 境内の狛犬もマスクをするご時世か、と狛犬を見て感じた。

 御朱印をもらったら今はなき丸広百貨店の観覧車がデザインしてあった。

10.仙波河岸史跡公園

 仙波河岸史跡公園に向かう。仙波河岸史跡公園に愛宕神社があったので参拝する。

愛宕神社

 平安時代に京都の愛宕山から分霊を奉斎して創建、祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)である。愛宕神社は丘の上にあるのだが、ここは丘ではなく古墳らしいことが説明板にあった。

 愛宕神社の裏には延命地蔵尊がある。このお地蔵様は延命・利生を請願しているようだ。

延命地蔵

 仙波の滝の跡があったが、現在滝は流れていなかった。

仙波の滝の跡

 そしてここが仙波河岸である。

仙波河岸

 仙波河岸ができたのは明治の初めで、新河岸川の舟運に使われた。仙波河岸は新河岸川の最も上流に位置し、一番新しくできた河岸場だった。仙波河岸が開設されたことで、ゆるやかな坂を上がっていけばあとはそのまま平らに蔵造りの街並みのほうまで荷物を運ぶことができるようになった。しかし明治の初めには新河岸川の舟運も終わりを迎えた。現在は史跡公園として整備されている。

 

 この後は本川越駅まで戻り、ばぁ~ぐば~ぐで夕食を食べた。

 和牛ハンバーグの専門店で、やはりハンバーグが美味しかった。

 この後は友人としばらく話してから、川越駅で解散した。川越の魅力を再発見できた1日となった。

今回の地図①

今回の地図②

歩いた日:2022年4月2日

【参考文献・参考サイト】

山野清二郎・松尾鉄城・寺島悦恩・小林範子(2019)「うつくしの街 川越―小江戸成長物語」一色出版

クレアモール川越新富町商店街振興組合 クレアモールとは?

http://www.creamall.net/union-info/index.html

川越市 川越熊野神社

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/kurazukurizone/kumano.html

蓮馨寺

https://renkeiji.jp/

大正浪漫夢通り

https://www.koedo.com/index.html

カワゴエール 川越商工会議所

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/shokoukaigisho/

カワゴエール 原田家住宅

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/haradake/

川越市 旧山崎家別邸

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/welcome/kankospot/kurazukurizone/kyuyamazakike.html

カワゴエール 旧山吉デパート

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/yamakiti-department/

カワゴエール 埼玉りそな銀行川越支店

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/resona/

川越市 蔵造りの町並み

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/kurazukurizone/kurazukuri.html

カワゴエール 長喜院

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/chokiin/

川越市 時の鐘

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/welcome/kankospot/kurazukurizone/tokinokane.html

川越まつり公式サイト 川越まつりの概要・歴史

https://www.kawagoematsuri.jp/about/about_history.html

川越市 菓子屋横丁

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/kurazukurizone/kashiya.html

川越八幡宮 ご由緒・ご神徳

https://kawagoe-hachimangu.net/history.shtml

カワゴエール 仙波河岸史跡公園

https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/senbagasi-sisekipark/

(2022年4月24日最終閲覧)