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東海道を歩く 5.保土ヶ谷駅~戸塚駅 後編

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 権太坂を登りきり、境木地蔵まで辿り着いた。あとはほぼ、坂を下りていくだけだ。ちなみに江戸時代の人々が旅行で東海道を歩いたとき、1日で日本橋から戸塚まで移動したそうだ。これは大変な距離の移動だと思う。ちなみに10里(約40km)ほどである。なお、現在は東京駅から戸塚駅まで東海道本線で40分ほど、730円で行ける。そもそも東海道の終点の京都まで新幹線だと2時間ほどで行けるのだから、江戸時代の人がこれを知ったら腰を抜かすだろう。

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1.焼餅坂

 境木地蔵前にある散策案内図がこれである。

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 これを見ると直進すると思ってしまうが、実際は境木地蔵前交差点で南西方向に曲がり、すぐに焼餅坂を下りるのが正解である。実際、私もここで道を間違えて途中で気づき、境木地蔵前まで戻る羽目になった。

 焼餅坂を下りる前に右手側に「左 旧東海堂 右 環状二号」と書かれた石碑があるのを確認してから焼餅坂を下りると確実だ。

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 焼餅坂の由来はこの坂にあった茶屋で焼餅が売られていたからとも、客の多い若い娘の茶店をほかの店の老婆が妬いたからとも伝えられている。ちなみに今は、焼餅屋はない。

2.品濃一里塚

 そのまま進むと住宅街に出る。竹林の脇に、また庚申塔を見つけた。

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  切り通しのようなところを通るが、実はこれは切り通しではない。品濃一里塚だ。

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品濃一里塚

 品濃一里塚は、江戸から数えて9番目の一里塚で、神奈川県内ではほぼ完全な形で残る唯一の一里塚である。昔は大きな榎が植えられていたが、今は榎の根本が残るのみで楠や雑木が茂っている。現在は西側・東側の一里塚ともに塚とその周辺が公園として整備されている。一里塚は以前も見たことがあるが(市場の一里塚)、ここまで立派なものは初めて見た。なお市場の一里塚については「東海道を歩く 3.川崎駅~神奈川駅」で取り上げているのでそちらも参照してほしい。

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3.福寿観音

 そのまま進むと右側に小さなお堂と歩道橋が見える。福寿観音だ。

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福寿観音

 福寿観音は東戸塚駅建設に尽力した福原政二郎氏が建立した観音堂である。この観音堂の前にある歩道橋はイオンに通じており、そのまま進むと東戸塚駅に到着する。疲れた人はこのイオンで休憩してもよいかもしれないが、帰りたくなりそうだ。

 イオンには行かずに、そのまま道なりに進む。すると階段が現れる。ここが品濃坂だ。

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品濃坂

 今は階段になっていてそれほど急だとは感じなかったが、昔は急坂で有名だったらしい。

 品濃坂を歩道橋経由で下り、また住宅街を進む。

 しばらく進むと右手側に川が見える。川上川だ。しばらくはこの川沿いに進む。東戸塚駅交差点を越えても、そのまま進む。目の前を見ると遠くに富士山が見えた。

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 今でも見えるのだから、昔はもっと印象的に見えただろう。

 赤関橋を渡り、国道1号の脇の旧道を進む。すると「提灯立場跡」と書かれた案内板を見つける。

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提灯立場跡

 ここにも立場があったらしい。今はただの住宅だった。

4.大山前不動

 次の国道1号の交差点で東海道国道1号に合流する。少し暗くなってきたので先を急がなければと思った。まだ15時半なのに、11月の日暮れは早い。

 山崎製パン森紙業、ポーラなどの工場地帯を進む。すると右側に「柏尾の大山道入口」と書かれた看板を見つけたので行ってみる。

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大山前不動

 これが大山前不動だ。ここが大山道の始点である。不動堂には台座の上に不動明王が乗っている道標が納められている。この近くに庚申塔や灯篭もある。

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 ここから大山山頂までは約39kmで、日本橋から戸塚までは約40kmとされていることを考えると、ここから大山まで歩いていけるかもしれないと思った。

5.ハム製造所跡

 不動坂交差点で左側の旧道を進む。だいぶ遠くからしか写真を撮っていなかったが、斎藤家のレンガ造りの土蔵がある。ここは日本で初めてハムを製造したハム製造所跡である。

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ハム製造所跡

 明治10年代、ウィリアム・カーチスがこの地でハムを作り始めた。当時この村の村長だった斎藤満平はカーチスにハム製造法を教えてくれと依頼したが、カーチスは日本人には教えてくれなかった。そのため、作業場で働いていた斎藤角次らにハムの製造法を密かに学びとらせた。その後、カーチスは斎藤満平に正式にハムの製造法を教えてくれることになった。明治28年(1855年)には博覧会にハムを出品して表彰され、「鎌倉ハム」として有名になった。

 舞岡川まで来たら川沿いに右折し、国道1号に合流、五太夫橋を渡る。

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太夫

 これは徳川家康が関東へ入国する際に小田原北条氏の家臣を登用したが、その一人石巻太夫がここで家康を出迎えたのでこの名がついた。その後、石巻太夫は家臣に登用され、中田村の領主になっている。

6.戸塚宿江戸方見付跡

 そのまま進むと右側にイオンスタイル戸塚が見えてくる。その前に石碑と案内板がある。戸塚宿江戸方見付跡だ。

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戸塚宿江戸方見付跡

 見付は宿の出入り口であるとともに宿を守る防衛の施設である。ここは戸塚宿の江戸側の出入り口で、参勤交代の大名たちを宿役人がここで出迎えていた。やっと戸塚宿に到着した、と安堵した。

7.戸塚一里塚跡

 そのまま進むとセブンイレブンの少し先に「戸塚一里塚跡」の案内板があるのに気づく。

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戸塚一里塚跡

 品濃一里塚と違い、ここは案内板があるだけだ。それにしても一里塚を見るのは本日3ヶ所目、だいぶ歩いたなと感じた。

 吉田大橋のたもとに、安藤広重が描いた戸塚宿の浮世絵がある。

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戸塚宿の浮世絵

 安藤広重が吉田大橋を題材としたことにより、ここが戸塚宿を代表する場所のひとつになった。現在の吉田大橋周辺とは、ずいぶん違う風景だなと感じた。

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現在の吉田大橋周辺

 矢部団地入口で自動車道は地下に入っていくので、左方向に進み、戸塚駅を目指す。

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 しばらく道なりに進み、戸塚駅東口入口交差点を左折すると、戸塚駅に到着する。

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戸塚駅東口入口交差点

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戸塚駅

 この日は12時に保土ヶ谷駅を出発し、戸塚駅に到着したのは16時半だった。アップダウンが激しかったこともあり、到着したときはクタクタで一休みしないと帰りの電車に乗れないほどだった。保土ヶ谷から歩いてこれだけ疲れるのだから、日本橋から歩いてきたら大層疲れたことだろう。改めて江戸時代の人々の体力はすごいと感じた。なお、これだけ歩いても今日は横浜市内を出ていない。横浜市は広い。

 次回は戸塚駅から藤沢本町駅まで歩く予定で、距離は2里(約8km)。また頑張らなくてはいけないみたいだ。

 

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今回の地図①

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今回の地図②

次回記事はこちら↓

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歩いた日:2021年11月7日

 

【参考文献】

風人社(2013) 「ホントに歩く東海道 第2集」

NPO法人神奈川東海道ウォークガイドの会(2016) 「神奈川の宿場を歩く」 神奈川新聞社

神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会(2011) 「神奈川の歴史散歩」 山川出版社