どうもこんにちは。10月うさぎです。
今日からは高知旅行記を書こうと思います。
前回までの徳島旅行記はこちらから読めます↓
高知旅行記を書き始めようと思いますが、その前に…
高知の泊まったホテルで出た朝食なのですが、
これすごくないですか?
これに大浴場、サウナもついて5300円で泊まれました。
素泊まりプランもあり、値段は1000円差だったため、この朝食は1000円ということになります。だが1000円でこの量はすごい。しかも美味しい。
美味しい朝食を食べたところで、本題に入ります。
ホテルから路面電車に乗って、高知駅へ向かいます。コインロッカーに荷物を預けるためです。なお今回の高知旅行記で路面電車の出番はここだけ。
荷物を預けて、高知旅行記スタートです!
高知の3人の偉人の銅像が高知駅前にあります。左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像です。
武市半平太は土佐勤王党を結成し、土佐藩参政・吉田東洋の暗殺によって土佐藩の藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した人物です。
(あまり歴史には詳しくないもので、雑な感じの説明しかできない…勉強せねば…)
はりまや通りを南下します。高知橋を渡ったら左折し、江の口川沿いを歩いていくと神社が見えてきます。
高知八幡宮は大高坂城(現在の高知城)の守護神として石清水八幡宮から勧誘してできた神社です。正確な勧誘年は不明ですが、鎌倉時代末期と思われるようです。
しかし現在は高知城内にありません。明治維新後に「氏子の中心地に氏神様を迎えたい」と地元住民が懇望したので1871年に現在地に移されました。
御朱印をいただきました。そういえば前日に徳島城下総鎮守の春日神社からもらっていたこともあり、「○○城下鎮守」の御朱印が並びました。
ちなみに春日神社はここで取り上げられています↓
はりまや通りに戻り、追手筋通りで右折します。追手筋通りをそのまま直進すると高知城に到着します。
人だかりを発見しました。
この日は日曜日でした。
そう、追手筋通りでは毎週日曜日に、日曜市が行われるのです。
日曜市は1690年以来、300年以上にわたり毎週日曜日に開催されている市場で、野菜や果物のほかに金物や植木まで売っています。
せっかくなので、入ってみましょう。
野菜や果物が安値で売られています。どれも美味しそうですが、ここで買うと東京まで持ち帰らなければならないので断念しました。
それにしてもすごい人だかりです。既に高知県でもコロナ感染者は出ていたんですけどね…。
美味しいと評判のいも天の前には長蛇の列ができていましたが、朝食の量が多くあまりおなかがすいてなかったのでスルーしました。食べておけばよかったかな…でも混んでたしな…
ちなみに日曜市に行ったことをTwitterでつぶやいたところ、フォロワーさんから「実は今日(2020年3月22日)から日曜市が再開したんですよ!その前の2回は開催しなかったんです(コロナ)。運が良かったですね!」というリプライをいただきました。本当に運が良かったと思います。
私が日曜市についてつぶやいたツイートはこちらです↓
日曜市。
— 10月うさぎ (@Octoberabbit) 2020年3月22日
元禄3年(1690年)以来、300年以上にわたりほぼ毎週開催している市場。
高知城追手筋で全長1kmにわたり店が軒を並べる。
コロナで外出自粛が叫ばれる今でも大勢の人で賑わっていた。 pic.twitter.com/gBU61ioZTe
なお、その後はコロナの脅威がありつつも市民の台所として時間短縮で開催していたようですが、GWに開催すると観光客を誘引して大変なことになる、ということで4月26日と5月3日の日曜市は中止となったようです。
日曜市をくぐりぬけたら、高知城がある高知公園に到着します。
せっかくなので高知城歴史博物館で勉強してから高知城へ行こう、と思うと…
がーん。
コロナの影響で今日(3月22日)まで臨時休館でした。
調べたところ、翌日からは通常営業していたそうです…惜しかった。まあ、次の日月曜日で会社だから行けないけど…
しかし、4月10日から再び臨時休館となり、5月6日まで休館のようです。
残念だけどしょうがないよなぁ…と歩いていたら
「縣社 藤並神社」と刻まれた石柱を発見。
参拝したいな、と思い高知公園に入ったものの…
いくら探しても、神社らしきものが見当たらない。
このときは諦めたのですが、後で検索してみたところ、1975年に山内神社と合併し、今は藤並神社はなくなっているとのこと。
山内神社と藤並神社の経緯は以下のとおりです。
藤並神社は1806年、第10代藩主山内豊策の時代に初代藩主山内一豊と妻の見性院、第2代藩主の山内忠義を祀るために高知城内に建てられました。
明治に入った後の1871年に土佐藩最後の藩主、第16代の山内豊範が山内神社を創建、第3代藩主から第14代藩主までの霊を祀りました。
1932年に第3代藩主から第14代藩主までの霊は藤並神社に祀られることになり、山内神社には第15代・第16代藩主が祀られることになりました。第15代と第16代の藩主が個別で祀られた理由は、幕末維新における功績を顕彰するためです。
しかし1945年の高知大空襲により、山内神社、藤並神社はどちらも焼失。
1975年の山内神社再建の際に、藤並神社に祀られていた初代から第14代までの藩主、そして初代藩主の妻の霊を合祀するために合併したようです。
これで山内神社に土佐藩歴代藩主の霊が全員揃ったことになります。
この経緯をたどると、「合併するべくして合併した」印象がありますね。
で、肝心の山内神社ですが、今回の旅行では行ってません。
「えぇ~」と思われる方もいるかもしれませんが、この事実を知ったのが帰った後だったからです…
ただ、2年前に高知に訪れたときに、今回行ってない近くの神社に訪れた記憶があったので、写真フォルダを探してみたところ…
2年前に山内神社に行っていたことが判明しました。
御朱印もいただいていましたが、土佐藩の歴代藩主が祀られていることは知らなかったのでそれ関係の写真は残っていません。
長くなりましたが、これが「縣社 藤並神社」の石柱の真相です。
そして、目の前に高知城が見えますが高知城に登るのは次回にします。
次回記事はこちらです↓
参考サイト
高知八幡宮/高知八幡宮とは
https://www.kochi-hachimangu.com/about/index.html
高知市/日曜市
https://www.city.kochi.kochi.jp/site/gairoichi/
高知県立高知城歴史博物館
https://www.kochi-johaku.jp/
山内神社/御由緒
http://www.yamauchijinjya.net/
すべて2020年4月23日最終閲覧